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2007-09-24
2007年
9月
24
月曜日
スーパーカーに夢中だったガキの頃、オヤジがどこかから外車を借りてきたことが一度だけある。
しかし「外車に乗れる!」というワクワクは、「
○○○○(エンブレムね)」を見た途端急激にトーンダウンしたのを覚えている。
「なーんだ、アウディか。」
(なんて生意気なガキだったんだべ)
それも仕方ない。
手持ちのスーパーカー本に、ひとつも現れてこないメーカーは、ガキにとっては興味の対象外だった。
少なくともその頃のアウディは、外車といえども大衆車だったハズ。
そんなガキの頃の記憶を覆されたのが今日。
たまたま仲間から所在を教えてもらい、休日勤務後に立ち寄ったのはアウディのディーラー。

R8が2台展示してある。

現地仕様はメーター周りがカーボン素材でぐるりと囲われているが、日本仕様はこれがガラスに映りこむので見づらいという理由か、プラスチックに代わっている。

面白いのは、ノーマルボディは2トーンなのに、オプションとしてわざわざモノトーンにするためのパネルが用意されているということ。
V8・4.2L・420馬力のエンジン、1800万円の必要資金、クワトロミッドシップ、350km/hまで刻まれた速度計…まだわずかに残った、俺のガキ心は十分ときめく。
しかし、買えない僻みは別にし、これだけのスペックを十分に楽しむ場所など日本にはまずない…ということをすでに知り、すでに俺を支配して久しいオヤジ心はときめかない。
(そんなの関係ない!…ってな)
R8にRX8…名前だけはよく似た、日本のハチですらそんなにブンブン飛び回れないのに…もっとも、アッチのハチの実際の用途は別の所にあるんだろうけど…などと、なんとも夢が見られなくなった現実を、己に気づかせる魅力がこの手のクルマにはある。
だが最後に本音。
「それでも乗ってみてぇ!」
2007-09-23
2007年
9月
23
日曜日
「年は取っても気持ちは若い」…そうは思っていてもそうでもないか。
それとも、平成生まれと昭和生まれの間には、目に見えない壁があるのか。
はたまた、単純にdomesticあるいはlocalな状況なのか。
今まさに学校祭直前、極力生徒のアイディアを昇華させてやりたいという願いはある。
そのために、こちらの手持ちのネタはどんどん授けてやりたい…。
最近の学校現場での感想は、「反抗されることはないが、かといって忠実ではない。」…
問答がなかなか成立しずらいということ。
なるべくわかりやすい言葉を選んで問いかけているつもりだが、反応が鈍く、「フツー(普通)」と、擬態語みたいな抽象的な言葉が織り混ざって返り、なかなか意図が伝わらない。
勉強、あるいは学力、はたまた入試=
暗記力…それが子供達の力量を測るという考えには、事あるごとに異を唱えたい。
例えば、お笑い芸人のコントに筋書きがないとしよう。
あれが、すべてその場の機転だとすれば、かれらこそ天才だ。
瞬発力のある発想力(気づき)→反応=真の学力…と思う。
「パソコン・ケイタイ(セルラーフォン)・ゲーム機」…これを俺は
「PCG」、すなわち子供達の
「三種の鈍器」と勝手に名付けた。
(短絡的というか、刹那的なキャラクターを形成させているという意味でも、我ながらうまくこじつけたと思う)
彼らは、これらの道具を通じて、
「押すという単純運動」しかしていない。
これらに共通するのは、だいたい急かされているわけで、じっくりと考えている間もなく、如何にして物事をショートカットして場面をクリアしていくかということだ。
物事をデジタルに処理(0 or 1→Yes or No→好きか嫌いか)していくクセが身につき、物事を
「起承転結」させて組み立てることが下手になっている…というか、幼い頃からそうなっている。
だから今こそ、じっくりと腰を落ち着かせ、「ものづくり」に没頭させることが何よりだと痛感する。
指先で様々な運動をし、時に失敗を解決し、そうして一つの作品を作り上げながら物事を作り上げるプロセスと、人生における課題を解決するシミュレーションを体験する。
それを、俺も頭でわかっているが、どう伝えていいのかすらなかなか掴めない。
うん、そういえばものづくりに没頭する時間が少なくなった。
よし、であれば…。
2007-09-17
2007年
9月
17
月曜日
おりしも世界柔道のまっただ中の今日、札幌市中体連柔道新人戦があった。
直前のこの3日間、親類の葬儀のためハチで1000kmばかり移動し、テレビも観ず、練習は放ったらかしだったが、ウチのもんもなかなか頑張ってくれたもんだ。
大会中の会場でも、世界柔道についての
炉辺談義(だからNO責任ね)が続く。
「将来ポイント制がまかり通ったらまるでレスリングだな」
「いっそ日本はJUDOをやめて、新たに柔道普及っちゅうのはどうだ」
「(テレビを観てからの審判だから)今日のジャッジはぶれてしまいそうだ」
「つまらん」
大会そのものも、今日は団体戦のみだから仕方ないのかも知れないが、折角大きなアリーナを借りたにもかかわらず、かなりがらーんとしていた。
「たまにテレビでやってこれじゃあますます…減るかもな」
中学生の新人戦だから、小学生時代よりのキャリアのある子は別としても、始めて間もない1,2年がほとんどで、キレよく決まる試合は多くはない。それでも、緊張でガチガチ同士が一生懸命やっている姿には心揺さぶられる。
「どうか、今日の放映は…」という願いが届くわけもないが、世界選手権の最終日、物語としてはなかなかの結末だ。
それぞれの選手が「柔道」で勝ち上がり、最後の方は「JUDO」で大会を治めた。
[Z] 世界チャンプがZZR0831号に!このとき、江種選手もzzr0831号に跨ればラッキーを得たのに…というのは冗談だが、今となっては写真撮影に遠慮がちだった江種選手にももっと絡めば良かったと悔やまれる。
それにしてもJUDOは面白くないが、柔道の魅力は素晴らしい。
ホント、日本の柔道選手には、
柔道でもってJUDOと戦い、若い子へのメッセージを発信し続けて欲しい。
少なくとも、きちんとお辞儀ができるのは今や日本柔道選手だけなのだし。
最終日の結果のみへのこじつけかも知れないが、
「柔道はJUDOに勝つ!」という結論を、
「柔道はJUDOもできるが、JUDOに柔道はできない」という公式でもって証明してくれたように思う。
教育現場では、いずれ必ず「柔道」の教育的価値がますます見直されるはずだ。
…棟田さん、今度マジスパおごらせて!。
2007-09-12
2007年
9月
12
水曜日
毎朝欠かさず新聞に目を通すが、「おくやみ欄」も忘れない。
一応、知り合いに不義理のないように…ということだが。
しかし、いささか不謹慎かも知れないが、そこから色々なことを読み取ったり想像したりもする。
日によって「年齢層」に片寄りがあるということもあったり、
「行数」から様々な事情を推察したり、
わずかな情報から、故人の「足跡」を想像したり…。
縁起が悪いとか、不謹慎という向きもあろうが(…ではないとは思うが)、様々な死に方を知ることは大切だと思う。
なんでかというと、「
なんのために生きてんだかわからん」とかいう若いもんが意外と多いからだ。
絶望している者に「がんばれ」とだけいうのは、こっちが首を絞めているようなもんだ。
すべての人生をパターン化することなど到底できないが、サンプルを持ち合わせることは必要だ。
数日前、二人もの高校生が、自転車の二人乗りで交差点にてクルマにはねられて亡くなった。
我が家の近所だ。
昨夜、患いの末叔母が亡くなった。
孫も所帯を持ち、活躍しているから、心残りもそうなかろうと思いたい。
つい先日、教師、警官になった女性の教え子二人から聞かれた。
「
何歳くらいでどんな終わり方がいい?」と。
で、
「60ちょい過ぎそこそこで、朝起きて、気づいたらぽっくり」が理想と答えた。
何でかといえば、オヤジが40代で倒れ、10年以上も床に伏して逝ったからだ。
それと、忘れられないうちに、なまら大勢に、通夜で宴会をやって盛り上がって欲しいし。
(生前の話のネタは、一晩ではオチがつかないくらい提供してやろうぞよ)
まあ、そうそう都合良くは逝かないだろうが、少なくともやけくそやうっかりで若いヤツに逝っては欲しくないんだな…。
ホントにホントに…。
いやーホント、頼む。
まっちがいなくそのうち面白いことあるって。
2007-09-09
2007年
9月
09
日曜日
メールやBBS、最近ではブログやプロフなんてぇのも介したトラブルが、小中学校でも当たり前になってきた。
気軽にメアドを交換し、または仲介し、機械を通したお友達関係もごく「
フツー」みたいだ。
実際に道端や廊下ですれ違っても挨拶を交わすどころか、話しすらしたことのない者同士が、メールでは気軽に「
会話」できるという
不思議。さらに
摩訶不思議なのは、その、
会うことがあるのに話さない相手とも、メールではやりとりできちゃうということ。
だからというだけではないのだが、面と向かって話しをし、相手の表情や仕草、言葉の抑揚から感情を読みながらコミュニケーションを深める力が弱くなっていると感じる場面もある。
習ってから間もない英語が片言なのは当然としても、母国語もカタコトに聞こえる場面も少なくはない。
イヤミではないが(イヤミかな?)、「おまえはいつ日本に来たの?」なんて言いたくなることも日常茶飯事だ。
本来培われるべき能力が十分でないうちに道具を持っちゃうと、何かが欠落したり、事故が起きるのは、この例のみに非ずも一理か。
事あるごとに「なあ、それどうなんだ?」と考えを聞けば、「
フツー」と返る事があまりに多く、「じゃあよー、そうでない場合は
イジョー(異常)か?」と屁理屈返しをしちまう。
どうも「普通」のコミュニケーションが「
不通」になる場面も多々あるか。
しかしこれが、「情報端末発達」の弊害や「ゆとり教育」が原因と押しつけてしまうのは早合点。
家庭教育の力量不足というのも責任の放棄だべ。
うーん、
面と向かって、しゃべらせてしゃべらせて、聞いて、しゃべってやることが大切なのかねぇ…。
(あ!…あたりまえだ…)
2007-09-02
2007年
9月
02
日曜日
最近ロクに庭周りの手入れもしないものだから、せっかく植えた枝豆もやや黄色く大豆になりかけ、葉っぱは随分とアオムシを太らせて穴だらけ。
これは今日こそ喰わねばならぬ(アオムシではない)と急ぎ、せっせと収穫をした。
しかし、どうも近所がいつになく騒がしい。
きっと、ご近所の若い子が窓を開け、コンポのボリュームを最大にしているのだろう…と思った。
数年前に植えたハーブも、今や雑草を駆逐する勢いだ。
湯を沸かし、15分ほどどさっと葉っぱをつっこんでおけば一応ミント茶になるから、こいつも収穫した。

どちらも完全有機農法だ。
(ほったらかしただけ…)
日もすっかり暮れたが、外からはまだ音楽が聞こえ、ふと目をやると夜空にカクテル光線が伸びている。
「ん?」そういえば日中、アリーナの側を通ったら、随分賑やかだったな。
調べてみると、今日はミスチルの野外コンサートだそうな。
随分と離れてはいるが、初秋の風に乗り、生演奏が届く。

そよ風に遮られ、はっきりとは聞こえないが、夜景を眺めながらのライブとミニ収穫祭、そしてコオロギと秋の気配…なかなか一興。
しかし、ミント茶よりはビール。
2007-08-26
2007年
8月
26
日曜日

8/20 19:00苫小牧発、太平洋フェリーの「いしかり」に乗船。

14時間の船旅は、20年前の敦賀行きの時のイメージとはほど遠く、立派なミニシアターやライブなどもあり、とても快適だった。
フェリーオブザイヤーなる賞を何年も獲得している船だけのことはある。

朝風呂にも入り、仙台到着。
飛行機代をケチったがための手段も、結局ビール代で高くつく。

地図で見れば、仙台-山形なんてあっという間…は大間違いだった。
zzr0831号は、やたら意味もなく猛暑の中3時間かけ、昼飯喰う間もなしのギリギリセーフで到着。
全中柔道講習会、懇親会で初日を終える。

翌日は全中柔道開会式と女子団体だ。
今回のスピーチは阿武教子氏による。

ちょいと昼飯を喰いに天童市街にでたら大雨に当たる。
ここの店主は、昨年函館で偶然知り合った方…のハズがどうも違う?
しかし、140年も続く老舗で美味かったし、結局ホンモノ(?)の店主さんとも近しくなった。
[Z] 下見という名のツーリング

恒例の「せっかくだから」は、まず山寺へ。900段の石段はなかなかきつかったが、それを5往復もランニングしている全中バスケの愛媛代表の子供らには脱帽。すれ違うたびに挨拶をくれるから、「おじさん」の自己紹介もちゃんとしたさ。

立石寺にて立腹じゃ!…なんという日本人のメンタリティーの低いこと!
(外国語もあったけど)

ZZR1100もかなり古いが、これら寺々有(ぢーぢーあーる…ね)は1100年以上!。

「せっかくだから2」…翌日は帰路に着かねばならず、蔵王を通り、「お釜」に寄る。
以前訪れたときは霧で何が何だかさっぱりだったから、大感動大会である。
しかし、わざわざリフトを使って登ったらその先に駐車場があるという、ちょっと騙され気分。

眼下に見えるは白石市…ということを後で知る。

なぜならば、アポなしで姉妹校に寄ってしまったからだ。
夏休み中で、しかも土曜日だから誰もいないだろうと思ってたんだが、
始業式で、しかし金曜日だったから、バイクから降りて汗だくのまんま大勢の方々からご挨拶を頂いてしもた。

国道を走って仙台に着き、やたら意味もなく道に迷って、青葉城で「ずんだシェイク」。
昔よりも緑が薄くなっていた気がした。
(街並みではなく、ずんだシェイクのこと)

境内の護国神社に、ちょうど1/100の戦艦大和、空母飛竜、駆逐艦雪風が展示されている。

いずれも多くの書籍にて紹介されているもので、悲劇を後世に伝えるシンボルとしてあまりにも精密だ。

なんどもなんども意味もなく道に迷った「奥の細道」を離れ、太平洋フェリー「きたかみ」に乗船す。

帰路はカプセルホテルのようなA 寝台を取ったが、時折の周囲の雑音に熟睡はできなかった。
あきらめてかなりの時間をデッキで過ごしたが、時々現れるイルカや、沖合から初めて見る渡島半島も一興だ。

「パーン」という破裂音とともに一本目のロープが放たれ、それをウィンチで巻きながら次々とロープがつながれて193mの巨体が接岸する様子も見物だった。
これから北海道を走ろうとする嬉しそうなバイク達と共に上陸し、6日ぶりの我が家を目指す。
2007-08-16
2007年
8月
16
木曜日
11日夜は、久留米の友人宅にて、これでもかというくらいもてなしてもらった。

わざわざ農家から直接買ってきてくれた馬刺しは絶品!

地元の鰻重もこれまた絶品!
彼のカミさんの親戚が造り酒屋だそうで、地元でしか売られていない貴重な焼酎も美味かった!
いいだけ飲んで喰って、トドメは近所の焼鳥屋で豚骨ラーメン…ごちそうさんでした。
ところで俺が持って行った土産は、マジスパのレトルトと、ヤツが冗談でリクエストしたマルセイバターサンドを始めとする菓子類など。
一応おきまりの「白い恋人」も持ってった…で、後日談となるのは昨夜の電話。
「おう、その節は世話になったな。」
「「ん?謝罪の電話かと思ったぞ」」…(白い恋人)
「ばかやろー!逆にプレミアつくかもしれんから大事に喰え!」
(向こうもちょうどニュースを見ているところだったが、笑い飛ばしてしまった)
翌朝は再び基山に戻る。
女子個人の4階級があり、いずれの北海道代表選手も馴染みがある。

その内3名はなんと準決勝まで勝ち上がった。
観客席から、彼女らの家族達と声援を送り、感動を分けてもらう。
圧巻は上野巴恵の決勝、相手は、団体優勝校のエースである田知本だ。

場内は物音一つせずにシーンと静まりかえり、緊張した空気が溢れる。
両者一歩も譲らず、延長戦になった。
上野の繰り出す大内刈りは不発となるが、徐々に田知本の息が荒くなる…のが2階席に聞こえるくらい静かだった。

後ろに倒すのがダメなら前へ…支えつり込み足で一本を決め、3連覇を達成した。
帰りの飛行機には、フェンシングやボート競技に出場した選手団がおり、フェンシングの女子は、ノートに試合の反省を綴っていて立派に映った。
すべて自費の自主研修だったが、こうやってほんの一部を振り返るだけでも吸収できたものは大きい…それにしても暑かった。
体中のあちこちを虫に刺され、「なんて九州ってとこは!」…と思ったらアセモだもんな。
2007-08-15
2007年
8月
15
水曜日
8/9-12は、佐賀のインターハイ柔道観戦のため九州に行った。
到着が遅かったので、せっかくだから吉野ヶ里遺跡に寄った。

博多から電車で向かった。

道産子にとってはアンビリーバブリな炎天下をテクテク歩いた。

弥生時代の平均寿命を越えられたことを知り、感謝!
佐賀に向かい、教え子宅に厄介になる。
彼のカミさんと二人の息子とともに晩飯を喰いながら、佐賀の空気を初めて吸う。

飲みすぎた翌朝、カミさんと息子に基山町まで送ってもらう。

せっかく応援に行った教え子はすでに畳から降りた後だった(ありがとさん!)が、100kg超級の決勝は見ものだった。

それにしても天気が良すぎて暑い。

試合会場が狭いため、別の施設でスクリーンを通して観戦するという苦肉の策…運営者の苦労が偲ばれる。

男子団体と個人が終わり、女子の開会式だ。
惜しくも北海道代表の旭大高は予選で消えた。
その夜は再び佐賀に戻り、駅前を飛ぶコウモリに興味津々し、教え子宅に再び厄介になり、カミさんの手料理をご馳走になる。
翌朝、風呂まで一緒に入ってすっかり慣れてくれた5才の息子は、惜別をふてくされで表し、なんともいじらしい。
そうそう迷惑もかけられないので、2日目のこの日は電車とバスを乗り継いで会場へ。

古賀も熱く視線を送る団体決勝は、代表戦となる。

全中札幌でも活躍した田知本 遥の一人舞台で小杉の優勝。
団体が終わり、個人戦までかなり間がある。
ところが昼飯がなく、仕方なくやや歩いてコンビニで適当に済ます。

精鋭揃いとはいえ暑さとケガが祟ったか、北海道代表の女子の軽い方3名は、まりなも含めてあえなく消えてしまった。

太宰府天満宮で合格祈願の札を買い、

暑さをしのいで梅枝餅と抹茶を頂き、
そして久留米の友人宅に向かう。
2007-08-08
2007年
8月
08
水曜日
先週、リフレッシュとお見舞いと墓参りを兼ねて十勝へ行った。
途中、夕張に寄る。

そこでまだ開発中のシークレットスイーツを発見!

何とか喰わせてくれと頼んだが×だった。

じっくりと「焼いていない」トウキビは、新鮮だからこそ美味い!
日勝峠を越え、ム○オロードをひた走り、十勝川温泉へ。

三余庵にて口にするものすべてが感動だ。
地球広しといえども、北海道ほど美味いモンが山・海・畑で揃うところはそうそうなかろう…を実感。
音更の親戚宅に寄り、帯広に向かう。

「あ、なんかさびしい…」
色々と思い出のある街だ。
綺麗になった駅前は、しかしかつての賑やかなイメージとかけ離れている。
駅の周りには立派なホテルが増えたが、なんというか、道東観光の玄関でありながら、なんとなく観光の脇役といった雰囲気か。

初めて「ぱんちょう」にて元祖豚丼を頂く。
高速道路を初めて使っての足寄入り。

祖父母宅があった場所は、今は某健康食品メーカーの研修地となり、きれいに整地されている。

この川では、ガキの頃よく泳ぎ、木綿糸にミミズを縛ってカジカを釣って遊んだもんだ。

沢山ある池は、昔釣り堀を営んでいた名残だ。

至る所に薬草が植えられている。
今となっては他人の土地だが、こういう山奥で暮らせたことも今思えば「センキュウ」だな。

あ!昔と全く変わらずの「高橋パン」!
できたてのエンドウあんパンの味は全く変わらず「センキュウ」!
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