「年は取っても気持ちは若い」…そうは思っていてもそうでもないか。
それとも、平成生まれと昭和生まれの間には、目に見えない壁があるのか。
はたまた、単純にdomesticあるいはlocalな状況なのか。
今まさに学校祭直前、極力生徒のアイディアを昇華させてやりたいという願いはある。
そのために、こちらの手持ちのネタはどんどん授けてやりたい…。
最近の学校現場での感想は、「反抗されることはないが、かといって忠実ではない。」…
問答がなかなか成立しずらいということ。
なるべくわかりやすい言葉を選んで問いかけているつもりだが、反応が鈍く、「フツー(普通)」と、擬態語みたいな抽象的な言葉が織り混ざって返り、なかなか意図が伝わらない。
勉強、あるいは学力、はたまた入試=
暗記力…それが子供達の力量を測るという考えには、事あるごとに異を唱えたい。
例えば、お笑い芸人のコントに筋書きがないとしよう。
あれが、すべてその場の機転だとすれば、かれらこそ天才だ。
瞬発力のある発想力(気づき)→反応=真の学力…と思う。
「パソコン・ケイタイ(セルラーフォン)・ゲーム機」…これを俺は
「PCG」、すなわち子供達の
「三種の鈍器」と勝手に名付けた。
(短絡的というか、刹那的なキャラクターを形成させているという意味でも、我ながらうまくこじつけたと思う)
彼らは、これらの道具を通じて、
「押すという単純運動」しかしていない。
これらに共通するのは、だいたい急かされているわけで、じっくりと考えている間もなく、如何にして物事をショートカットして場面をクリアしていくかということだ。
物事をデジタルに処理(0 or 1→Yes or No→好きか嫌いか)していくクセが身につき、物事を
「起承転結」させて組み立てることが下手になっている…というか、幼い頃からそうなっている。
だから今こそ、じっくりと腰を落ち着かせ、「ものづくり」に没頭させることが何よりだと痛感する。
指先で様々な運動をし、時に失敗を解決し、そうして一つの作品を作り上げながら物事を作り上げるプロセスと、人生における課題を解決するシミュレーションを体験する。
それを、俺も頭でわかっているが、どう伝えていいのかすらなかなか掴めない。
うん、そういえばものづくりに没頭する時間が少なくなった。
よし、であれば…。