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2007-09-12
2007年
9月
12
水曜日
毎朝欠かさず新聞に目を通すが、「おくやみ欄」も忘れない。
一応、知り合いに不義理のないように…ということだが。
しかし、いささか不謹慎かも知れないが、そこから色々なことを読み取ったり想像したりもする。
日によって「年齢層」に片寄りがあるということもあったり、
「行数」から様々な事情を推察したり、
わずかな情報から、故人の「足跡」を想像したり…。
縁起が悪いとか、不謹慎という向きもあろうが(…ではないとは思うが)、様々な死に方を知ることは大切だと思う。
なんでかというと、「
なんのために生きてんだかわからん」とかいう若いもんが意外と多いからだ。
絶望している者に「がんばれ」とだけいうのは、こっちが首を絞めているようなもんだ。
すべての人生をパターン化することなど到底できないが、サンプルを持ち合わせることは必要だ。
数日前、二人もの高校生が、自転車の二人乗りで交差点にてクルマにはねられて亡くなった。
我が家の近所だ。
昨夜、患いの末叔母が亡くなった。
孫も所帯を持ち、活躍しているから、心残りもそうなかろうと思いたい。
つい先日、教師、警官になった女性の教え子二人から聞かれた。
「
何歳くらいでどんな終わり方がいい?」と。
で、
「60ちょい過ぎそこそこで、朝起きて、気づいたらぽっくり」が理想と答えた。
何でかといえば、オヤジが40代で倒れ、10年以上も床に伏して逝ったからだ。
それと、忘れられないうちに、なまら大勢に、通夜で宴会をやって盛り上がって欲しいし。
(生前の話のネタは、一晩ではオチがつかないくらい提供してやろうぞよ)
まあ、そうそう都合良くは逝かないだろうが、少なくともやけくそやうっかりで若いヤツに逝っては欲しくないんだな…。
ホントにホントに…。
いやーホント、頼む。
まっちがいなくそのうち面白いことあるって。
2007-09-09
2007年
9月
09
日曜日
メールやBBS、最近ではブログやプロフなんてぇのも介したトラブルが、小中学校でも当たり前になってきた。
気軽にメアドを交換し、または仲介し、機械を通したお友達関係もごく「
フツー」みたいだ。
実際に道端や廊下ですれ違っても挨拶を交わすどころか、話しすらしたことのない者同士が、メールでは気軽に「
会話」できるという
不思議。さらに
摩訶不思議なのは、その、
会うことがあるのに話さない相手とも、メールではやりとりできちゃうということ。
だからというだけではないのだが、面と向かって話しをし、相手の表情や仕草、言葉の抑揚から感情を読みながらコミュニケーションを深める力が弱くなっていると感じる場面もある。
習ってから間もない英語が片言なのは当然としても、母国語もカタコトに聞こえる場面も少なくはない。
イヤミではないが(イヤミかな?)、「おまえはいつ日本に来たの?」なんて言いたくなることも日常茶飯事だ。
本来培われるべき能力が十分でないうちに道具を持っちゃうと、何かが欠落したり、事故が起きるのは、この例のみに非ずも一理か。
事あるごとに「なあ、それどうなんだ?」と考えを聞けば、「
フツー」と返る事があまりに多く、「じゃあよー、そうでない場合は
イジョー(異常)か?」と屁理屈返しをしちまう。
どうも「普通」のコミュニケーションが「
不通」になる場面も多々あるか。
しかしこれが、「情報端末発達」の弊害や「ゆとり教育」が原因と押しつけてしまうのは早合点。
家庭教育の力量不足というのも責任の放棄だべ。
うーん、
面と向かって、しゃべらせてしゃべらせて、聞いて、しゃべってやることが大切なのかねぇ…。
(あ!…あたりまえだ…)
2007-09-02
2007年
9月
02
日曜日
最近ロクに庭周りの手入れもしないものだから、せっかく植えた枝豆もやや黄色く大豆になりかけ、葉っぱは随分とアオムシを太らせて穴だらけ。
これは今日こそ喰わねばならぬ(アオムシではない)と急ぎ、せっせと収穫をした。
しかし、どうも近所がいつになく騒がしい。
きっと、ご近所の若い子が窓を開け、コンポのボリュームを最大にしているのだろう…と思った。
数年前に植えたハーブも、今や雑草を駆逐する勢いだ。
湯を沸かし、15分ほどどさっと葉っぱをつっこんでおけば一応ミント茶になるから、こいつも収穫した。

どちらも完全有機農法だ。
(ほったらかしただけ…)
日もすっかり暮れたが、外からはまだ音楽が聞こえ、ふと目をやると夜空にカクテル光線が伸びている。
「ん?」そういえば日中、アリーナの側を通ったら、随分賑やかだったな。
調べてみると、今日はミスチルの野外コンサートだそうな。
随分と離れてはいるが、初秋の風に乗り、生演奏が届く。

そよ風に遮られ、はっきりとは聞こえないが、夜景を眺めながらのライブとミニ収穫祭、そしてコオロギと秋の気配…なかなか一興。
しかし、ミント茶よりはビール。
2007-08-26
2007年
8月
26
日曜日

8/20 19:00苫小牧発、太平洋フェリーの「いしかり」に乗船。

14時間の船旅は、20年前の敦賀行きの時のイメージとはほど遠く、立派なミニシアターやライブなどもあり、とても快適だった。
フェリーオブザイヤーなる賞を何年も獲得している船だけのことはある。

朝風呂にも入り、仙台到着。
飛行機代をケチったがための手段も、結局ビール代で高くつく。

地図で見れば、仙台-山形なんてあっという間…は大間違いだった。
zzr0831号は、やたら意味もなく猛暑の中3時間かけ、昼飯喰う間もなしのギリギリセーフで到着。
全中柔道講習会、懇親会で初日を終える。

翌日は全中柔道開会式と女子団体だ。
今回のスピーチは阿武教子氏による。

ちょいと昼飯を喰いに天童市街にでたら大雨に当たる。
ここの店主は、昨年函館で偶然知り合った方…のハズがどうも違う?
しかし、140年も続く老舗で美味かったし、結局ホンモノ(?)の店主さんとも近しくなった。
[Z] 下見という名のツーリング

恒例の「せっかくだから」は、まず山寺へ。900段の石段はなかなかきつかったが、それを5往復もランニングしている全中バスケの愛媛代表の子供らには脱帽。すれ違うたびに挨拶をくれるから、「おじさん」の自己紹介もちゃんとしたさ。

立石寺にて立腹じゃ!…なんという日本人のメンタリティーの低いこと!
(外国語もあったけど)

ZZR1100もかなり古いが、これら寺々有(ぢーぢーあーる…ね)は1100年以上!。

「せっかくだから2」…翌日は帰路に着かねばならず、蔵王を通り、「お釜」に寄る。
以前訪れたときは霧で何が何だかさっぱりだったから、大感動大会である。
しかし、わざわざリフトを使って登ったらその先に駐車場があるという、ちょっと騙され気分。

眼下に見えるは白石市…ということを後で知る。

なぜならば、アポなしで姉妹校に寄ってしまったからだ。
夏休み中で、しかも土曜日だから誰もいないだろうと思ってたんだが、
始業式で、しかし金曜日だったから、バイクから降りて汗だくのまんま大勢の方々からご挨拶を頂いてしもた。

国道を走って仙台に着き、やたら意味もなく道に迷って、青葉城で「ずんだシェイク」。
昔よりも緑が薄くなっていた気がした。
(街並みではなく、ずんだシェイクのこと)

境内の護国神社に、ちょうど1/100の戦艦大和、空母飛竜、駆逐艦雪風が展示されている。

いずれも多くの書籍にて紹介されているもので、悲劇を後世に伝えるシンボルとしてあまりにも精密だ。

なんどもなんども意味もなく道に迷った「奥の細道」を離れ、太平洋フェリー「きたかみ」に乗船す。

帰路はカプセルホテルのようなA 寝台を取ったが、時折の周囲の雑音に熟睡はできなかった。
あきらめてかなりの時間をデッキで過ごしたが、時々現れるイルカや、沖合から初めて見る渡島半島も一興だ。

「パーン」という破裂音とともに一本目のロープが放たれ、それをウィンチで巻きながら次々とロープがつながれて193mの巨体が接岸する様子も見物だった。
これから北海道を走ろうとする嬉しそうなバイク達と共に上陸し、6日ぶりの我が家を目指す。
2007-08-16
2007年
8月
16
木曜日
11日夜は、久留米の友人宅にて、これでもかというくらいもてなしてもらった。

わざわざ農家から直接買ってきてくれた馬刺しは絶品!

地元の鰻重もこれまた絶品!
彼のカミさんの親戚が造り酒屋だそうで、地元でしか売られていない貴重な焼酎も美味かった!
いいだけ飲んで喰って、トドメは近所の焼鳥屋で豚骨ラーメン…ごちそうさんでした。
ところで俺が持って行った土産は、マジスパのレトルトと、ヤツが冗談でリクエストしたマルセイバターサンドを始めとする菓子類など。
一応おきまりの「白い恋人」も持ってった…で、後日談となるのは昨夜の電話。
「おう、その節は世話になったな。」
「「ん?謝罪の電話かと思ったぞ」」…(白い恋人)
「ばかやろー!逆にプレミアつくかもしれんから大事に喰え!」
(向こうもちょうどニュースを見ているところだったが、笑い飛ばしてしまった)
翌朝は再び基山に戻る。
女子個人の4階級があり、いずれの北海道代表選手も馴染みがある。

その内3名はなんと準決勝まで勝ち上がった。
観客席から、彼女らの家族達と声援を送り、感動を分けてもらう。
圧巻は上野巴恵の決勝、相手は、団体優勝校のエースである田知本だ。

場内は物音一つせずにシーンと静まりかえり、緊張した空気が溢れる。
両者一歩も譲らず、延長戦になった。
上野の繰り出す大内刈りは不発となるが、徐々に田知本の息が荒くなる…のが2階席に聞こえるくらい静かだった。

後ろに倒すのがダメなら前へ…支えつり込み足で一本を決め、3連覇を達成した。
帰りの飛行機には、フェンシングやボート競技に出場した選手団がおり、フェンシングの女子は、ノートに試合の反省を綴っていて立派に映った。
すべて自費の自主研修だったが、こうやってほんの一部を振り返るだけでも吸収できたものは大きい…それにしても暑かった。
体中のあちこちを虫に刺され、「なんて九州ってとこは!」…と思ったらアセモだもんな。
2007-08-15
2007年
8月
15
水曜日
8/9-12は、佐賀のインターハイ柔道観戦のため九州に行った。
到着が遅かったので、せっかくだから吉野ヶ里遺跡に寄った。

博多から電車で向かった。

道産子にとってはアンビリーバブリな炎天下をテクテク歩いた。

弥生時代の平均寿命を越えられたことを知り、感謝!
佐賀に向かい、教え子宅に厄介になる。
彼のカミさんと二人の息子とともに晩飯を喰いながら、佐賀の空気を初めて吸う。

飲みすぎた翌朝、カミさんと息子に基山町まで送ってもらう。

せっかく応援に行った教え子はすでに畳から降りた後だった(ありがとさん!)が、100kg超級の決勝は見ものだった。

それにしても天気が良すぎて暑い。

試合会場が狭いため、別の施設でスクリーンを通して観戦するという苦肉の策…運営者の苦労が偲ばれる。

男子団体と個人が終わり、女子の開会式だ。
惜しくも北海道代表の旭大高は予選で消えた。
その夜は再び佐賀に戻り、駅前を飛ぶコウモリに興味津々し、教え子宅に再び厄介になり、カミさんの手料理をご馳走になる。
翌朝、風呂まで一緒に入ってすっかり慣れてくれた5才の息子は、惜別をふてくされで表し、なんともいじらしい。
そうそう迷惑もかけられないので、2日目のこの日は電車とバスを乗り継いで会場へ。

古賀も熱く視線を送る団体決勝は、代表戦となる。

全中札幌でも活躍した田知本 遥の一人舞台で小杉の優勝。
団体が終わり、個人戦までかなり間がある。
ところが昼飯がなく、仕方なくやや歩いてコンビニで適当に済ます。

精鋭揃いとはいえ暑さとケガが祟ったか、北海道代表の女子の軽い方3名は、まりなも含めてあえなく消えてしまった。

太宰府天満宮で合格祈願の札を買い、

暑さをしのいで梅枝餅と抹茶を頂き、
そして久留米の友人宅に向かう。
2007-08-04
2007年
8月
04
土曜日
【食についての何気ない疑問】
なんか、何気なくメシを喰うのも神経質になりそうな昨今。
○加工肉の偽装
ブタの心臓自体、喰ったところでどうなんだろう?
偽装は問題だが、ブタの心臓を喰ったら一体どんな害があるのだろう?
いっそ潔く「ブタのハツもけっこういけますよ!」なんて、 「トンハツコロッケ」なんちゅうネーミングで済んだんでないかい?
○冷凍食品の賞味期限と消費期限
しっかりと冷凍保存された食品は、実際にどれくらい保つのかな?
不味い美味いは別にして、実際に喰うと害になるにはどれくらいの期間が必要なのだろう?
実はよく知らない。
○白身魚
ナイルパーチについて、
ダーウィンの悪夢という映画で知った。
映画のテーマとは離れるが、結果、現地では感染症が蔓延し、そこから送られている魚肉が日本の食卓に並ぶわけだ。
イヤなのは、違う名前を冠されて売られていることだ。
てっきり「タラ」かなんかだと思って喰っているフィッシュフライバーガーなどはだいたいそうか?
回転寿司で回っているのはどれだ?
日本・EU・アメリカが世界中から様々な食材を大量に買いあさるもんだから、生産地では貧困格差を始めとする様々な問題が起きているということをもっと知りたい。
しかもその多くを食い残しては捨て、喰った我々は太ったといっては痩せようとする。
現地では飢えと貧困と闘っている。
日本だって、日々喰うに困る人々が大勢苦しんでいる一方で、ダイエットが流行る。
日本・EU・アメリカが世界中から様々な食材をむやみやたらと買いあさるもんだから、いずれはそのツケを払うのだろうが、結局はタコが足を食うってぇみたいな…そのタコにはなりたくないモンだ。
2007-07-16
2007年
7月
16
月曜日
休日勤務帰りに、ちょっとスーパーで買い物をしていたら、例のごとく昔の教え子から声がかかった。
何年か前に結婚式にも呼ばれ、家も近い彼女から、夕食の招待を受けた。
一息ついて、三姉妹とそれぞれの旦那と子供が集う「ガレージ焼き肉」に、チャリンコでのっこり顔を出したさ。
久しぶりもいいのだが、旦那の240Zには非常な興味が及ぶ。
…で、キーを捻り、フユールポンプのコンコンという音を聞き、アクセルを踏みつつさらにキーを捻り、L24は雄叫びをあげた。
「じゃぁちょっと借りるね」
キャブのクルマに乗ることすら今や稀だが、ましてや240Zだもん。
縦に並んだマフラーから発するノスタルジックなエクゾーストノート、サポートのない超か細いステアリングからのインフォメーション…すべてが新鮮で、ちょいと一回りでも路上の視線を感じる。
なんでだろう、なんでだろう…これだけ昔の人々が夢見た今のクルマに乗っているのに、昭和48年のクルマが無茶苦茶楽しいのはなんでだろう。
カミさんたる教え子は「こんなクルマに!」とかぶつくさ言うのだが、旦那と俺は意気投合。
リヤのフェンダーラインを眺めながらのビールは格別。
実は、国内でも少数のジェットヘリコプター操縦士の資格を持つ旦那。
せっかくだから色々聞けば、これがまた面白い、面白い、興味津々。
「ハチを貸すからヘリコ乗らせ!」と無茶なお願いをし、我が家に無事帰還す。
それにしても、ヘリコのローターのようにクルクル回る人生はこれもまた面白い。
2007-07-06
2007年
7月
06
金曜日
一生の後悔は数々あれど、そのワースト3は、
①YMOの1979国内ツアーに行かなかったこと
②YMOの1994再生ライブに行かなかったこと
③坂本龍一のメディアバンライブに行かなかったこと
そして今日、4つめの後悔を知った。
2007/5/19横浜にてのYMOライブだ。
つい今さっきNHKの番組を見終わり、改めて「あー…」
それにしてもこの番組は面白かった。
「以心電心」はちょっと歌詞を変え、「ピカピカの靴を脱いで」→「上手な嘘をやめて」…「心の奥を鏡の中に映してみよう」と、「ケオスパニック」な今の時代に合わせ、遊び心も健在だ。
メンバーが20代にて絶頂期を迎え、実は様々な苛立ちを抱えていたこと。
それを50代になって「ゆるく」受け止められるようになったこと。
ライディーンもCUEもずいぶんとゆるく演奏され、40代としては心地よかっただけに後悔もますます募る…。
なんでもガマンします。
どんなことでも耐えて見せます。
お願いですから生YMOをもう一度!
(明日のアースなんとかも行けなくて…)
2007-06-26
2007年
6月
26
火曜日
昨日の朝方から全身がだるく、職場に着くなり体中の節々が痛くなった。
一昨日のムリした後遺症だろうと判断し、とりあえず体中に湿布薬を塗りまくった。
ところが、超珍しいことには、徐々に食欲も落ち、仕方なく退勤時刻ちょうどに帰宅し、一眠りした。
カミさんが帰宅するなり、「具合が悪いから焼き肉喰いに行くべ」と誘い、ついでに体温計を買った。
一応測ってみればなんと38℃を越えている。
熱が出れば体が痛くなるという、一般的な記憶が体内から消えていたらしい。
明け方測ると熱は一向に下がらない。
仕方なく欠勤の連絡を入れ、横になっていたら、けっこう元気になってしまった。
自己診断では、一日休むほどの不調ではなく、仕方なく出勤した。
勤務先では、子供から大人までが「???」の顔つきで迎えてくれた。
俺が熱を出すという事態自体がニュースらしかった。
体の各部のギシギシ感はなかなかとれない。
ん?いや、かなりとれてもきた。
とりあえず当面は早寝を心がけることにする。
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