あーガマンならない。
マスコミから伝わるニュースには目も耳も背けたくなるものばかり。
目も耳も背けたくなるニュースは、ある意味ウィルスかも知れぬ。
世の中でこれだけ非道なことが、「当たり前の様に起こっている」と錯覚させるウィルスだ。
毎朝毎晩毎日、「非道」が耳や目から入ってくれば普通の人間は洗脳されちまう。
人間、コンディションが悪けりゃコントロールが聞かなくなるときもある。
神経と頭脳の回路がショートすりゃ、行動が短絡的になるときもある。
その時に生かされるのが
「ニュースによってすり込まれた非道」かも知れぬ。
別にどこでどのような「非道」が起きようと、あえて知らせぬでもいいではないか。
「知らぬが仏」ともいうが、「知ったが(加害者)ためになった仏(被害者)」もあろう。
マルチメディアにフィルターはかけられるが、テレビやラジオ、新聞、週刊誌…マスコミにはどうか。
(ましてやマスコミは一方通行)
「言論の自由」も大切だが、
「知ったが悪魔」を増やさぬ手だてへの議論も必要じゃないのか。
しかし、そして、なぜに
「路上の天使」はニュースにならぬ。
報道が
「悪の教育者」になっているとは思わんかな。
(方法論から必要とは思うけど)
つまり、
あえて知らせないという手段を講じる必要もあろうといいたかったわけ。
ものすごい同感です。
私も今じゃすっかり疑ってかかるような人間になりましたよ。
大人の世界ってものすごいストレスのかかるところなんですね、最近わかってきた気がします。
それにしても大胆な題名ですねw