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2006-04-03
2006年
4月
03
月曜日
本校勤務10年目の今日を迎えた。
悪いが
マンネリ気分である。
(一切の緊張感がない)
2・3・1・1・3副・3副・1・2・3…最初の赴任校、西岡中の9年。
2・3・1・1・3副・3副・1副・3・1…2校目現任、白中の9年。
こうして並べると、可笑しいくらい似たような9年9年だ。
(振り返ると、副担時の方が激務だった)
今年は2担だから、当然来年度は3担とし、つまり
20年で2校はまーちがいない。
今日、新卒が赴任した。
そういえば19年前の今日、先輩教師に
「どう?」と心境を聞かれ、まだ見ぬ生徒の顔に思いを馳せた…記憶がセピア色に蘇る。
「
がきんちょども(親愛の情を込め、あえてこう呼ぶ)」には、10年だろうが100年だろうが、教師の過去は関係なかろう。
必要なのは、
「今の俺が必要とされること。」
お!、ちょっと気合いが入ったわい。
さてと、なにか企むか…。
2006-03-26
2006年
3月
26
日曜日
今時の中1なかなか泣かせる。
俺たちを職員室に集め、そして時間が来たので体育館へエスコート。
卒業式の卒業生ばりに入り口で待たされて、「入場です。」のアナウンス、拍手…BGM。
(…そういえばここしばらくは、
休み時間にいつものようにちょっかいを出そうと教室に行けば、廊下でいじられまくり、飯の時間
「もっと牛乳をもらってこい。」といっては俺をなんとか教室から追い出そうと企て、とにかく俺が教室にいればなにやら警戒の雰囲気。)
<必死にばれぬよう一致団結>
…体育館には席が用意され、教師一人ずつステージにあげられ、感謝状と寄せ書きが手渡された。
まるで離任しなきゃならんような雰囲気。
おまけに、いつ練習したかわからないが、総勢200名の大合唱とダンス。
トッピングは
涙ときた。
いやーやられた。
まんまと一杯喰った。
満腹だ。
心が温まり、胸がすっぱいすっぱい。
木多郎のトマトの酸っぱさが彷彿した。
喜・多・労…この商売やめられん。
2006-03-19
2006年
3月
19
日曜日
店名ではなく調味料であり、ビンの裏側には
「魔法のスパイス」と表記されている。
同僚が土産にくれたものだ。
めちゃくちゃ気に入っていて、口にするものほとんどすべてに入れていると言っても過言ではない。
(そうしたらもう一瓶くれた)
「
何にでも合います。」といううたい文句は嘘ではない。
「
じゃぁ、たとえばなんなのさ!」と聞きたくなるのが人情だろうが、
「
なんにでも。」と答えるしかない。
「これはさすがに邪道か?」と思ってもイケる。
辛い、美味いはもちろんだが、なにしろ
元気をいただく。
実はもう一瓶は教室にある。
最初は
興味半分だった中1のボンズ&ガールも、毎日「
クレクレタコラ」。
(ちと古いか)
…んなわけで、去年の4月当初はおとなしい
小食動物だったボンズ&ガールも、今やイナゴの群れのように食欲旺盛になった。
(ホントか?)
春先から今までの写真を整理しているが、ホント明るくて大きくなったモンだ。
それもあと3日。
そう思うと、俺の一番のマジカルスパイスは、ボンズ&ガールの
マジカルスマイルだったような。
2006-02-28
2006年
2月
28
火曜日
人の皮を被った魑魅魍魎が跋扈する昨今、子供達と我が身を守るにゃ、まずは手口を知る必要がある。
「
ポリスチャンネル」…新種の娯楽番組…じゃない。
まずは見るべし。
次には見せるべし。
2006-02-21
2006年
2月
21
火曜日
…もしもそうならば、
諫早湾の干拓事業並の愚挙となろう。
なぜならば学生時代の俺は、中国語の研究と内燃機関の解析、発酵液体に対する肉体改造、ついでに柔道…に明け暮れていたため、
教員副免を持っていないからだ。
(そいつはさておき…)
「日本経済の根幹は
ものづくりであると思う。」
…この、「
ものづくり」という言葉の響き、教科書に載りはじめたときはなんて
野暮ったいのだろうと思った。
だが馴染んでくると、なんとも温かく、しかし日本の将来への毅然とした決意みたいなニュアンスを感じるようになった。
(カタカナやアルファベット言葉が乱立する世間への、ひらがなの反旗と感じるのはおれだけか)
もちろん表記的な問題ではない。
現代の人々の多くは、単純な「
押しボタンスイッチ」の操作に終始している。
これが、
思考の単純化に影響しているという報告は知らないが、短絡的な出来事がこれほど多く伝えられる事実と全く無関係とも断言できまい。
切る、削る、曲げる、くっつける、塗る…引く、押す…様々な作業から手先を通して得られる情報は、発達段階の脳ミソに間違えなく良好な刺激を生む。
金さえ出せば手に入る多くの工業製品だが、その陰に
隠れた努力や苦労を垣間見ることこそ具体的な
「総合学習」であろう。
「もし、技術科がなくなったらどうするの?」
「たぶんあり金叩いておでん屋開くよ。ただし、カレーおでんだ。」
(そんときゃみなさんごひいきに)
2006-01-31
2006年
1月
31
火曜日
「
私の紙(CD)ジャケット」
(ソンに意味はない)
授業は主にPC室で行うが、生徒が作成したデータはサーバーにおいたままだ。
バックアップ用にCD-Rを渡すのだが、まとめ買いをするのでケースがない。
(かといってわざわざケースを購入するのも勿体ない)
エクセルを使って「
紙ジャケット」の展開図を作ってみた。
生徒各自は、好きな画像やタイトルを配置し、氏名を入力する。あとはケント紙またはフォト用紙にプリントし、カッターとノリで紙工作してできあがり。
これでバインダーのポケットにCDを保管できるし、俺が一杯やりながら夜鍋して作った数々のワークシートも無駄にならない。
(か、どうかはわからん…)
ジャニーズ、ディズニー、アニメキャラ、スポーツ選手、クルマ…などなど、中学生らしい好みが表現される。
(イニシャルDの影響か?クルマは国産に人気集中)
自分でやらせといて、「
たかが紙ジャケだからな。あんまりハマるなよ。」といってもすでに耳に届かない。
(教師の仕事としては、こういう展開が目論見通り…牛!)
「
(なんだかんだいっても中学生だなぁ…)」
俺の試作品は、
「イタリアンスーパーカー」と「ジェット戦闘機」シリーズ。
(昨日から四十肩が痛み出した)
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2006-01-28
2006年
1月
28
土曜日
「
食べ方がわからなければzzr0831先生に聞いて下さい!。」
…朝の職会で栄養士さんより異例のご指名を受けた。
今日のメニューはスープカレーである。
校内全体の期待感もいつも以上だったような。
さて、いよいよ「いただきます」の時間となった。
「
先生、これどうやって食べるの?」と聞く子と、自分では恥ずかしくて聞けない子が、こちらに視線を向ける。
「
ん?好きに食え。」とそっけなく返す。
(俺もそれどころではない)
しかし、スープをぶっかけそうな気配が見え、一応レクチャー。
札幌栄養士会の努力は素晴らしく、しっかりとチキンベースのダシをとり、トマトホールとニンニク、そして昆布と鰹節を使って風味に厚みを持たせている。
ブームとはいえ、まだまだ家庭料理としての浸透は浅い。
しかし、時が経てばきっと地元メニューとして定着するだろう。
なにしろここは天下の
マジスパのお膝元。
次こそは、卒業生でもある下村泰山氏の「
直伝レシピプロジェクト」を実現するぞ!。
(そんときゃ
大泉洋ちゃんも来てね!…なんて夢ふくらむ)
2006-01-23
2006年
1月
23
月曜日
なにもかも冬だ。
どこもかしこも冬だ。
札幌の部活動も冬だ。
ホントにお寒い。
(
北海道新聞へ)
以前、ある部が廃部になり、怒りに燃えた保護者が投書した新聞記事を読んだことがある。
「学校につぶされた。」という表現に、なんとも言えぬ複雑な気持ちになった記憶がある。
職員全員で存続に向け、あらゆる手を尽くした結果だったからだ。
昨日は、柔道連盟の会合だった。
80名ほどの参加者の中で、自分が一番若手だった。
名実ともに若手だった頃から、年をとっても未だ若手のまんまだ。
名実ともに本当の若手を採用してもらいたい。
筆記試験の点数だけではなく、子供らと一緒に汗を流すことを厭わない
心意気をもっと重要視して欲しい。
さもなきゃず~っと冬のままだ。
寒い寒いし、体もキツイ。
(老体にむち打ちあちこち痛い)
2006-01-05
2006年
1月
05
木曜日
仕事始めに、
勤務校のWebサイトを更新した。
がらーんとした冬休み中の校内は、宝探しにうってつけだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今は真冬、ましてや北海道の真冬だから寒いが、それでも暖かい。
俺のガキの頃はもっと寒かったし、そのまた昔は本当に厳しかったろう。
寝るときにはストーブを消し、朝起きると枕元が吐く息で凍った。
トイレ…なんてスマートなもんじゃなく、
くみ取り便所は真ん中だけが
タワー(!)になった。
(それをトンカチでかち割ったんだよなぁ…)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昭和31年、学校の水道が凍結して、生徒が付近の農家を訪ねて水を分けてもらうという新聞記事を
発掘した。
(今じゃ信じられないが、そう遠くない将来では逆に驚きに値しないかもと…想像)
なにせ、景気は回復に向かっているらしいが、教育ってとこには恩恵が回らないどころかますます厳しい。
その証拠に、
廊下の照明も暖房も最近は消され、除雪費用も捻出に苦労している。
(自家用車通勤者は実費負担だぁとぉ!)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この国じゃぁ
「貧富の差」がますます拡大するような気配。
「ひん」と打って変換したら、
「学校」になっちゃったり…。
2005-12-08
2005年
12月
08
木曜日
仮に、各クラスで6人分の給食が残ったとしよう。
本校は17学級だから、6×17=102人分の生ゴミがでるということになる。
つまり、1年1組から1年3組全員分の食事をゴミにしているという計算だ。
そして、これらの生ゴミはどのように処理されているのだろうかと想像してみよう。
いっそ、家畜のえさにしてリサイクルすればとも思うのだが、衛生上の不安やBSE問題などを考えるとムリだろう。
たぶん、川下や駒丘の清掃工場で焼却処分されているのだと思う。
水気を含んだものを燃やすには、相当多くの火力が必要だろう。なにしろ完全燃焼させなければダイオキシンの不安があるからな。
全くおかしな話だが、我々のエネルギーや体の元になる予定だった食物が余され、さらに膨大なエネルギーを使って処分されていると言うことだ。
農家が心血を注いで育てた野菜や家畜、漁師が命がけで採ってきた魚、工場で神経を使って加工された食品、そして調理する者が愛情を込めて調理され、料理となって我々の前に並ぶ。
しかし、「いただきます」は、それらの方々への感謝ではない。我々の命を支えるために命をくれた、もともとは生き物だった「すべての命」に対して捧げられるレクイエムだ。
毎日の給食で、ごちそうさまのあとに必ず食缶の中をのぞく。空っぽだと何となくほっとし、残食であふれそうになっていると敵をやっつけた後のブルースリーのように、悲しい表情の気分になる。
あまりにも尊い食物が、あまりにも単純な理由であまり、あまりにも多くのエネルギーを使って処分されるという、あまりにも無念なサイクルだ。
そこへいくと、我々人間の体というのは、とても素晴らしい生ゴミ処理機だ。食べたものをしっかりとエネルギーや体の組織に変えて、いらないものだけをうんちにする。うんちは自然界において再びエネルギーになる。
もちろん、我々が食べる目的は、うんち製造マシーンになることではないと言うことはいうまでもない。
ただ、残すときには、「いただけませんでした。ごめんなさい。」という心と、それなりの理由や工夫が必要かなと思うのです。
…ということもあり、担任の大越冬(ダイエット)はなかなか進まずであります。
(…以上、今宵の学担通信でした。)
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