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2012-02-29
2012年
2月
29
水曜日
生徒から「好きな曲はなに?」とたずねられた。
難しい質問だ。
その時の心境でコロコロ変わる。
単純に好きならYMOの東風かも知れないし、気を休めるならMozartかも知れない。
ハチの車内ではGAGAが多いし…まあ、困る質問だわな。
とりあえずその時は、
これだった。
なんつってもかっこいいったら一番だわな。
(radio作らせてるし)
2012-02-26
2012年
2月
26
日曜日
休日なれど、昨日は朝から「情報モラル」の学習会。
人類史上最高のツールたるネットだが、その使い道を正しくせねば悪からし大人の食い物に可愛い教え子達がなりかねん。
だからちゃんと是と非を教えてやらねばならん。
そのためにはきちんとデータを取って、解析して伝えねばならん…ということ…あまりにも現場の教師が知らなさすぎる。
じゃ、どうすればいいのか問う、等々。
所変わり、午後からは文科省上野調査官の講演。
(新指導要領に向かうポイント)
襟を正し、静聴せねばと構えたが、非常に具体的でフランクで有り難し。
二会場を回り、盛りだくさんで内容の濃い一日であった。
これを授業と柔道に生かすんだ。
2012-02-14
2012年
2月
14
火曜日
開校100周年を迎えるというなまら重要な年の幹事学年。
それを仕切るための実行委員会。
今日は勤務後8人集まり、会議の終わりは10時過ぎ。
卒業してから30年近くなる。
折しも今日から高校入試シーズン開幕。
担任している教え子達、どうぞ豊かな友情を醸成されよ。
そして31年後…あぁ、こっちは7@歳か。
どんな時代か想像つかぬが、どうぞ豊かな友情を醸成されよ。
2012-02-06
2012年
2月
06
月曜日
2012-01-30
2012年
1月
30
月曜日
カミさんのリクエストでライブへ。
俺の指は10本だが、彼のはいったい…?
ステージ上は彼一人ないしはラリー・グレナディアとの二人だがこの音の厚みはなんだい…?
前から7列目だが、途中現れた不可思議なマシン達はなんだったんだい…?
久々の札幌厚生年金会館、今はニトリなんだかホール。
(久々とはいえ狭く感じたのはドームに慣れたせいかな)
それにしても、ギターにシタールみたいな、ネック4っつ分みたいな楽器はなんだったんだい…?
週末だったら会場も埋まったろう。
そしたらもう一曲アンコールやってくれたかな。
とにもかくにも明日、コーチャンフォー寄ってみるわ。
2012-01-04
2012年
1月
04
水曜日
仕事始め。
(昼食、とある二郎系ラーメン店)
(ケンカ四つに組んでいざ試合開始みたいな)
野菜をつついて行けば、麺にたどり着く頃にはふにゃふにゃだろう。
(だから極太麺か)
スープも味わってみたいがレンゲがない。
(そちらの客はレンゲを使っているが、あちらの客にはレンゲがない)
すると、あちらの客が「レンゲくださーい」と。
(そっか、頼むんだ)
「(でも待てよ)」
(ないと言うことになにかメッセージがあるのかも知れぬ)
どんぶりを持ち上げてスープを頂くべきだと決めつけた。
(やべっ、手が滑った!)
「(あちっ!)」…と声が出そうになるのをガマンする。
(顔中モヤシだらけ、モジャモジャモヤシオヤジだし熱い)
「ニンニクください」…後悔…両眼球が攻撃された。
しかも、Tシャツネックにチャーシューささる。
(こんなかっこでガッコにもどれば3学期からはティチャーシューとあだ名か)
おまけになまらニンニク臭い。
…などと妄想しているウチになんとかスープが現れた。
(熱くて厚い油面…ギットギトのスープ)
「(お客さん、よく気づいたねぇ。これをまともに飲んじゃあ%&$#だぜ。)」
(レンゲなきはモヤシオヤジへの言葉なき気遣いかと)
ここは「はっけよい残した」俺の一本勝ち。
年越したそばを喰い、ダラダラとしてみた元旦。
(何もしないということに挑戦)
年賀状には、昨年一番印象的だったシーンを使う。
(東北・北海道は一枚岩にならんきゃ)
さすがに二日目は、初売りスノトレ履いてのべ2時間のランニング。
(途中神社やコーチャンフォーなどなど1.5時間ほど寄り道す…)
珍しく自分の足を使えば続々と、昔の教え子や親御さんとばったり会ったり。
(日頃クルマで行ったり来たりの道)
かつての柔道部員から届いた年賀状の中に、
「年末年始は巡視船で東北地方の行方不明者の捜索活動に行ってきます」という一筆があった。
(船内紅一点?)
さてと仕事始めだべ。
2011-12-18
2011年
12月
18
日曜日
ジャパネットたかた。
SONYブラビア46型。
(ウチのカミさん、財布から現金出した)
南極大陸最終回。
タロは、幼少期に北大植物園で剥製をみた記憶がある。
(40年ぶりくらいに確かめてみるかな)
フジテレビ
ほこ×たては最近の番組にしては興味をそそられる。
(そういえばタカトシの家は割と近い)
ハードは良くなった。
良いソフトが欲しい。
2011-11-30
2011年
11月
30
水曜日
昭和63年…最初の赴任校では、新任の身で同好会を立ち上げてスタートし、9年間勤めた。
平成9年…
次の赴任校では新入生歓迎会のステージに一人立ち、柔道部を立ち上げ、11年間勤めた。
その間、30~50名の部員を常に抱え、数々の大会でも成績を残し、その傍ら全市的な運営や全道、全国大会のプロデュースもあり、「もしかしたら死ぬかも知れない」と感じたのは大げさではないほど過酷であったことも確かにあった。
しかしそれは生き甲斐であり、職業人としてのやりがいである。
11年間勤め、いよいよ異動となったが、誠に無念ながら「これらのこと」は全く考慮されていない。
今に至るこの4年間は、胸板にどでかい穴が空いたようなもんだ。
たまたま縁あって出会ったかつての部員達は、今や「国の安全」に就く者が比較的多い。介護や看護の道を歩む者もいるし、会社の重責を担う者もいる。プロの格闘家を目指したものもいれば、日々大きな車体を操る者もいる。多くは父や母になり、立派にやっていると聞く。
柔道に出会ったおかげと語り、薄野の女王になる予定が立派に大学生活を送り、俺の誕生日には欠かさず電話をくれる…
なんも柔道だけがよいなどといわないが、たまたま俺にはパソコンや丸のこ盤以上に重宝な道具なだけだ。
中体連という組織を動かす立場ではあるが、そいつが本丸たる部を持たぬ。
4年までは我慢したが、5年とならばどうしよう。
「北海道柔道センター構想」…理想は「北海道武道館」だが、なんぼ小さくともボロでもいい。
飛車格落ちの将棋…5年は長すぎる。
飛車も角もない中では次の手を打ちようがない。
(ならばと、禁じ手が頭をよぎる昨今)
2011-11-21
2011年
11月
21
月曜日
お馬鹿が馬鹿にされて笑いをとる。
大画面の薄型は軽薄過ぎて笑えん。
(地デジは知出児?)
格闘家の須藤元気、2006年の大晦日の引退し、北海道にいるという時期もあり。
連載(1)僕が網走に移住した理由/須藤元気インタビュー
その後どうしてるのかと気になってた。
ホントに頭の良い奴はテレビに出ないんだ。
(腰痛ぶぅ…柔道やらんとな)
文化の伝承も教師の使命の一つとすれば、彼の活動はヒントとする値があると思う。
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