青少年期においての意味と、我々中年期における意味合いは少々異なる。
「我々」においては、体を育むどころか、過去のイメージと現実の違いを思い知る、自己の肉体を痛めつける場面ともなる。
「SYOKUTAI」…すなわち職員体育だが、今日はそのサッカーの試合だった。
対するは隣の日○中学校。
試合中はとにかく無我夢中で走った、蹴った…休んだ。
自分が20代の頃の40代は老人に見えた。
(平均年齢40をとうに越えるウチのチームは…なんと奇跡的に若いのだろうか)
心強い同僚、かつて日本を制したチームのエースストライカーの江○氏、
「なかなかイメージどうりには行かなかった」
それでも1-0の初戦勝利。
終わって行きつけの「元太」で一杯。
俺達は、
グラウンド脇の、ここの焼き鳥がとても好きだ。
ウチの職場のチームワーク源は焼き鳥だ。
その煙で実は教育が育まれている。
(実際に元太の大将は、一番永く生徒を見ている)