ZZR0831 Weblog

«Prev | 1 | 2 | 3 | ...| 6 | 7 | 8 |...| 13 | 14 | 15 | Next»

2008-03-11

2008年 3月 11 火曜日

今時珍しい学校だべさ

授業時数確保のため、どこの学校も四苦八苦している。
勤務校も例外ではなく、子供らの楽しみである様々な行事の存続にむけて議論される。
(議論になるだけ良心的かもしれない)

今日は送別集会があった。
これもすでに廃止になった学校が多いらしい。

もったいない。

あらゆる手を使ってかき集めた古紙を使い、校内のあらゆる手でもって作られる壁画は、今年の出来も素晴らしく、幕が開くなり3年生から大歓声と大きな拍手が起こった。


D70で撮りだめた写真は、数千枚の内から数百枚がチョイスされ、心温まるアナウンスとBGMによって大きく映し出された。
俺が海から釣ってきたサカナを仲間が上手に料理してくれた。
爆笑と感嘆、静寂が交互に巻き起こる。

そして下級生の合唱によって完全にノックアウトされた卒業生は、さらにさまざまな温かいもてなしによってトドメを打たれ、号泣する子も多数。


それを俺はD300で撃ちまくり、早速アップした。
教職員も生徒達も保護者達も幸福だと思う。

文字通りの「自画自賛」といわれても構わない。

それにしても真っ暗に近い体育館なのに、フラッシュなしでもガンガンいけるD300はすごい。
ちなみにD70は同僚に譲った。
どうかこれからも自画自賛できる学校でありますようにと願う。
posted on 2008-03-11 カテゴリ: 学校 - 2 個のコメント - 0 個のトラックバック

2008-02-18

2008年 2月 18 月曜日

時給

先頃のなにがしのあれが紙切れできた。
つまり、給料の1時間分がそこに記されていたわけだ。

どれどれと、お互いに見合わせたりすると…
30才なり立てで1400円~50半ばで2000円ちょい。

実際の勤務が8時間で終わることなどまずないし、部活などをやってその後残業したり、休日出勤したり、自宅に業務を持ち帰るなどざらだから、実質は察して知るべし。

しかも、残業手当などなし、自腹のパソコンやクルマを仕事に使おうが控除されるわけじゃなし、常時数十名のエネルギーと対峙するという精神的な疲労を加味すれば、学校の教師への対価など馬車馬のそれに等しいんじゃないか。

そこに来て免許がどうだとか、チルドレン的ペアレントとの対応だとか。
果ては、感謝も尊敬もいらないが、せめて舐めるなといわんばかりの実態にも関わらず、「聖職」なんていう不都合な真実が冠される。

それでもいい時代になった。
悪さがバレルから。

だから教師の中の一部の悪事もきっちりと明るみ出る。
しかし、むしろ昔以上に今の連中は真面目だと思う。
昔はばれなかっただけの話し…これはどこの世界も業界も同様。

北海道公務員の給与削減に対し、北教祖がストを打った。
世間が冷ややかに見るのはわかる。

だが、馬車馬にヒトの子の未来は荷が重すぎる。
posted on 2008-02-18 カテゴリ: 学校 - 0 個のコメント - 0 個のトラックバック

2008-02-06

2008年 2月 06 水曜日

Gmail

これが何年か前にあったなら、様々な仕事がもっともっと楽になっていたと思われるツールだ。
どこからでも使えるという利点は勿論だが、ちょっとしたどころかかなりのメモリー代わりともなる。

最初は2000MBだった容量は、ふと気づけば6394MBに増えている。
Googleがストレージ代わりの使用を認めているわけではないと思うが、ちょっとしたデータを持ち歩くよりは便利で安全だ。

(…と、何度か綴っている)

もちろんメーラーとしての機能も満足だ。
カレンダーと組み合わせ、ケイタイに予定を送ってくれるのもありがたい。

ところで昨日、市内の某学校にファイル(.xls)を添付して送ったら、文字化けしていると電話があった。
市内の学校のほとんどは「めるっこめーる」を受け口としているが、添付ファイルが今時1MB以内とか、メーラーを開くのが面倒くさいとか、使い勝手がかなり良くない。
文字化けの原因はわからないが、無関係とも言い切れない。

職場でGmailのアカウント取得を勧めてみたことがあるが、それほどの興味は示されなかった。
少なくともウチでは、メールそのものの必要性や認識がさほど高くないということもある。

…結局文字化けしたファイルは、印刷した物をfaxで送った。それを見て向こうでは入力し直すのだろう。

札幌のIT化は未だにアナログ回線…
posted on 2008-02-06 カテゴリ: 学校 - 2 個のコメント - 0 個のトラックバック

2007-12-30

2007年 12月 30 日曜日

近所のおっかないおじさん

学校webから一通のメールが届いた。
中身は怒りに満ちている。

幼いお子さんが一生懸命に作った雪像を、二人の少年に壊されたというのである。
逃げる二人を捕まえたところ、我が勤務校の生徒だと名乗ったらしい。

話題はそこだけに収まらず、付近のファストフード店に屯してはタバコを吹かし、マンションのクルマにイタズラをするのもお前の所の生徒だと思われても仕方ないとおっしゃる。

さらには、これだけの実態を教職員がどれだけ把握しているのか、また学校から一歩出れば関係ないというのか…つまり学校ではどんな教育をしているのだといったような怒りが延々と続く…つづく。

当方としては合点の行かない箇所もあり、今のところはなんとも言いようがないが、少なくともどんな教育をしているのかはまず実際にご覧頂くとし、それから付近のパトロールなどは地域でやっていただかないと我々の身が持たないし、第一そんな義務はない。

初めにメールを読んだときには正直なところ腹も立ち始めた。
朝から夜まで満足に休憩も取らないのが当たり前で、実に多種多様のプレッシャーによって心身の不調を訴える教師が少なくない現実、そこに来てどいつもこいつも勝手なこといいやがる。

しかし、このメールに関しては、何度か読み直すうちに印象が変わってきた。

このご紳士、最後にこう付け加えておられる。

「長々と乱筆乱文大変失礼致しました。文中、乱暴な表現がありましたことをお詫び申し上げます。しかし、必要であればわたしはいつでもおっかない近所のおっさんになりましょう。」

そして最後にはきちんと自らの住所と氏名、返信無用と記されている。

幼子の父親という点からは、文面に反して意外と若い方かとも想像されるが、もしもご本人にお会いできたらこう言おう。

「お怒りはごもとっも。私なんか中3相手に未だ、メシ・返事・挨拶ばかりいっとるくらいですから、なかなか教育っていうのはゆるくないですわ。それにしてもあなたのような方がおられるというのはまだ日本もまだまだ捨てたモンじゃないです。」
posted on 2007-12-30 カテゴリ: 学校 - 0 個のコメント - 0 個のトラックバック

2007-11-14

2007年 11月 14 水曜日

ギンナンの実


つい先日までは綺麗だった紅葉もすっかりと落ちた。
ギンナンもたくさん落ちている。

それを集め、授業で出た木っ端を燃やし、ドラム缶の上で焼いて喰う。


普段は見向きもしないし、喰えると言うことすら知らない中学生達の評判は、「うわーゲロクサイ!」と散々だ。
しかし、焼き上がったギンナンのカラを剥き、アメのように綺麗な緑色の実を目にするとちょいと目が輝く。

それでも俺がまず口にするのを怖々と見ているが、「うめぇ!」の一言で次々と飛びつく。
灰は木の根元にでも撒いておこう。
posted on 2007-11-14 カテゴリ: 学校 - 0 個のコメント - 0 個のトラックバック

2007-09-23

2007年 9月 23 日曜日

ギャップ

「年は取っても気持ちは若い」…そうは思っていてもそうでもないか。
それとも、平成生まれと昭和生まれの間には、目に見えない壁があるのか。
はたまた、単純にdomesticあるいはlocalな状況なのか。

今まさに学校祭直前、極力生徒のアイディアを昇華させてやりたいという願いはある。
そのために、こちらの手持ちのネタはどんどん授けてやりたい…。

最近の学校現場での感想は、「反抗されることはないが、かといって忠実ではない。」…問答がなかなか成立しずらいということ。

なるべくわかりやすい言葉を選んで問いかけているつもりだが、反応が鈍く、「フツー(普通)」と、擬態語みたいな抽象的な言葉が織り混ざって返り、なかなか意図が伝わらない。

勉強、あるいは学力、はたまた入試=暗記力…それが子供達の力量を測るという考えには、事あるごとに異を唱えたい。

例えば、お笑い芸人のコントに筋書きがないとしよう。
あれが、すべてその場の機転だとすれば、かれらこそ天才だ。
瞬発力のある発想力(気づき)→反応=真の学力…と思う。

「パソコン・ケイタイ(セルラーフォン)・ゲーム機」…これを俺は「PCG」、すなわち子供達の「三種の鈍器」と勝手に名付けた。
(短絡的というか、刹那的なキャラクターを形成させているという意味でも、我ながらうまくこじつけたと思う)

彼らは、これらの道具を通じて、「押すという単純運動」しかしていない。
これらに共通するのは、だいたい急かされているわけで、じっくりと考えている間もなく、如何にして物事をショートカットして場面をクリアしていくかということだ。

物事をデジタルに処理(0 or 1→Yes or No→好きか嫌いか)していくクセが身につき、物事を「起承転結」させて組み立てることが下手になっている…というか、幼い頃からそうなっている。

だから今こそ、じっくりと腰を落ち着かせ、「ものづくり」に没頭させることが何よりだと痛感する。
指先で様々な運動をし、時に失敗を解決し、そうして一つの作品を作り上げながら物事を作り上げるプロセスと、人生における課題を解決するシミュレーションを体験する。

それを、俺も頭でわかっているが、どう伝えていいのかすらなかなか掴めない。
うん、そういえばものづくりに没頭する時間が少なくなった。
よし、であれば…。
posted on 2007-09-23 カテゴリ: 学校 - 0 個のコメント - 0 個のトラックバック

2007-07-30

2007年 7月 30 月曜日

全道大会終わり、思う

全国への参加は4年で途切れたが、それこそが奇跡だったし、実は結構どうでも良い。
それよりも大切なのは、貴重な経験を与えた生徒達がどれほど人間的に高まりを果たすかということだ。

「あいさつ・返事・お礼・メシをちゃんと喰う・勉強しろ」

ふだんはほとんどこれしか言っていない。
柔道を通じ、実は躾をしているだけで、毎日それを繰り返しているだけだ。

「もっと厳しく!」というリクエストがないこともないが、昨今では厳しくすることほど難しい作業はない。
「愛情があれば…」と第三者が言うほど簡単ではなく、ほんの柔らかい手当でも、受け手の感じ方と親への伝わり方一つで「体罰or暴言」となりかねない。


だから俺などが心がけることは、「あきらめるor繰り返す」ことだけだ。
どちらもこれまた、いずれにせよ膨大なエネルギーを使わざるを得ない。
むしろ「あきらめる覚悟」の方が後々消費エネルギーが大きいので、ひたすら同じことを日々繰り返す。

教育の道具としての柔道…やや自信が揺らぐ。
高望みしすぎ?…自問自答が反復する。
多岐にわたる学校教育の中の、部活はホンの一部かも知れないが、真面目にやろうとすれば大変な精密さを余儀なくされる。

上位大会になればなるほど、それに関わる指導者達の器量や努力、エネルギーには驚かされ、そして指導者たる己の小ささに気づかされ、だからこそこれほどの研修はない。

「中体連の大会は教室と同じ」と、かつて大会中にトラブルが起きたときに委員長としてマイクを通じて叫んだことがある。
学校外部指導者との意識の違いはそこ、すなわち「勝負が目的or勝負は手段」の想いの差だ。
これからますます、その障壁を解消するためのプロパガンダも必要になろう。

うーん、だからなんだろう?
(これまた自問自答)

しかし、ちょっとはリセットがつくような気がしてきた。
posted on 2007-07-30 カテゴリ: 学校 - 0 個のコメント - 0 個のトラックバック

2007-07-27

2007年 7月 27 金曜日

読書のススメ

読解力不足は国民的な問題かも知れない。
日々伝わってくる様々な報道からもそれを感じてしまう。
エリートと言われる類の人々でさえ「なんでこの程度の言葉が理解できないのだろう?」なんて例は山ほど海ほどざらにあろう。

逆に、外国から日本にやってくる方々の熱心さには目を見張らせるものがある。
フィンランドから山口県の高校に留学中の女子高校生の様子をテレビで見たが、全校生徒を前に挨拶をする姿からは、とてもではないが日本語の勉強を始めて日が浅いとは思えなかった。
むしろ最近の若い日本の子が話す日本語の方が十分にカタコトに聞こえてしまう。
(それとも俺が年を取ったのかな?)

自校の中学生を対象に、読書を勧めようと思い立ち、この冬は「読んでみて著」と銘打ってwebに掲載した。
(生徒にはすっかりオヤジギャグと揶揄されまくりだ)
1学期の後半があまりに忙しくて、この夏はやめようかと思ったが、終業式が近づいたギリギリで告知した。

すっかり出遅れてしまったので、なかなか集まりはよくないが、まあのんびりやろう。

ところで今回は、一般の方々からもオススメを募ろうと思っている。
今のところまだ0だから、どなたか一本寄せてみてくれないかい?

トップページからどうぞ!
posted on 2007-07-27 カテゴリ: 学校 - 0 個のコメント - 0 個のトラックバック

2007-07-14

2007年 7月 14 土曜日

親のありかた

最近は、親としてのあり方について考えさせられることが非常に多い。

俺が「超・きかん坊」のガキの頃、親から口うるさく言われていたことは大体決まっていた。
「ものを盗むな」
「無駄遣いをするな」
「クルマに気をつけろ」
「どこかでご馳走になったらジュース一つでも必ず言え」


4、5才頃、近所の年上でカラダもでかい男の子とケンカになり、石を投げつけられて耳の後ろを切り、血をダラダラ流して大泣きで帰宅したことがある。
親に助けて欲しい一心で玄関の扉を開け、悔しくて過呼吸を起こしながら必死でその旨を伝えたら、「なにをのこのこ帰ってきてんだ!自分で始末をつけてこい!」と逆に怒鳴られ、玄関から追い出された。

怖くて仕方なかったが、その子の家に泣きながら乗り込み…そして帰宅後の居間は温かかった。

「勉強しろ」と言われた記憶はないが、苦労して喰わしてくれている背中が語るに十分だった。

だいたい昔の親はこうだったのではないか?

最近といってもずいぶん前だが、3才くらいの女の子が銭湯の浴槽のお湯を手ですくって飲んでいた。
そばにいた若いパパが「だめだよ**ちゃん」と優しくたしなめ、そしてその子はまた同じことを繰り返し、パパも同じ態度だった。
非常に後味が悪く、後悔したのは、「なにやってんだ!ちゃんと叱れ!」と、見知らぬそのパパをその場で叱るべきだったことだ。

子供の機嫌を損ねないように気を遣う…躾けでも教育でもなく、迎合でしかない。

教師が生徒を叱り、子供がその悔しさを家でぶつけると、それにストレートに(戒めることなく)同調する親が非常に増えている。
教師はただでさえ疲労困憊しているし、学校というところは自信喪失しているから、おかしいと思いつつも「なあなあ」で済ませ、苦汁を飲むしかない。
(ただでさえ残業が当たり前の毎日、夕方のしょうもない電話に貴重な時間と体力が奪われる)

子供は、どんどんと間違った自信を植え付けられて成長を重ねていく…。

自腹の「教員免許更新」は、決まってしまったモンはしょうがないが、そこへ親への指導力なんて項目だけは入れてあげないでくれ。
少なくとも若い教師には荷が重すぎる。

そういえば、まったくもってひょんな経緯から、大学生と小学生の姉妹がわざわざ市外から稽古に来た。
姉は、東京からのたった四日間の帰省のうち、三日間も来てくれた。
本人達にとっては自分達の稽古のつもりだったようだが、こちらとしては嬉しいことなので、今日は昼食(マジ…)をご馳走した。
たぶん彼女らが帰宅して間もなくだろう。
父上からの電話があった。

…こういう電話の使い方は、最近なかなか有り難い。
posted on 2007-07-14 カテゴリ: 学校 - 1 個のコメント - 0 個のトラックバック

2007-07-08

2007年 7月 08 日曜日

初優勝

中体連全市大会は、20年目にして初めての男子団体優勝だった。惜しくも男女ペア優勝とはならなかったが、色々と膨大な苦労を振り返ると最高の結果といえるだろう。

白石中トップページ

親子を交えた夜の会食では、もちろん喜びを分かち合ったが、これをきっかけにますます立派な人間に成長して欲しいと繰り返し告げた。
「感謝」の心を持ち、「おかげさま」の言葉を口にせよと、繰り返し語った。

いつも言うように、俺にとっては勝敗なんてどうでも良い。
部活なんてパソコンと同じ、たかだか教育の道具だ。
別に地位も名声もいらないし、むしろ邪魔臭い。
ただし、説得力だけは欲しい。

自分勝手な人間がますます増えていく世の中にあって、一人でも多くの人間らしい人間が増えてくれればと願うばかりだ。

決勝戦で勝ちはしたが、やはり相手選手達の姿勢は素晴らしかった。
そこを見習い、全道でも共に代表として頑張りたい。

まだまだ返事もあいさつもおぼつかない「代表選手達」…優勝というピーラーでどれだけ一皮むけるか。
もう一がんばりしなくてはと思いつつ、最近はホント疲れることが多すぎるぜ…ふう。
posted on 2007-07-08 カテゴリ: 学校 - 2 個のコメント - 0 個のトラックバック
«Prev | 1 | 2 | 3 | ...| 6 | 7 | 8 |...| 13 | 14 | 15 | Next»