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2005-09-01
2005年
9月
01
木曜日
愛機ダイナブックは、ハードディスクがわずか2年で逝ってしまった。スペアマシンを職場から持ち帰った。大会中は128だったair-H”は、ふだんは32というスピード。リッターマシンから原チャリに乗り換えた感覚を、今体験している。
そんなことと時同じくして、生徒が1人消えた。
かれこれ5日目、手持ちのない中で、しかも日中は残暑厳しいとはいえやはり北海道、夜はそろそろ半袖では厳しい…。
原因や理由はどうでもよい。とにかく無事でさえいればよい。
警察やマスコミも積極的に動いてくれることを願う。
明日は職場全体を挙げての捜索がかなった。
「お前の好きなもんなんでもいいだけ喰わしてやる。
早く元気な顔見せろや。」
2005-08-31
2005年
8月
31
水曜日
30代最後の一日。
めずらしく生徒指導であわただしい。
球技大会は…ビリ(でも、よくがんばったね!…と、がっこのせんせらしく)…まあ、それはいい。
パソコンの電源を入れたら、プロペラ飛行機が飛んでいるようなやばいサウンド。
OSが立ち上がってそのまんまフリーズ。
再起動したら真っ暗画面でセーフモードすら起きない。
しばし放ってあるが、改善の兆し無し。
かみさんのパソコン借りて仕事中。
つまり、これも仕事中(?)。
「どうしてのぞくと隠すの?」
いや…別に…なーんにもやましくはないんだが…。
そういえば足の付け根がずきりとうずく。
最近口の中が荒れ気味だ。
家の前の空き地にとうとう家が建つのも気に入らない。
あーらら、ふと時計を見れば不惑の年だ。
さぁーてぇ…どうしようかと早速惑う。
とりあえず寝ちまおっと。
2005-08-29
2005年
8月
29
月曜日
休日出勤後のzzr0831号での散歩、いつもの滝野霊園コース。
もうちょい走りたくて、オヤジの墓にはささっと水ひっかけて、そそくさサイナラした。
帰り道、気分良くライディングしていたら、目の前の空気が突然変わり、「壁」となる。
反射的なブレーキングも間に合わず、「何かにぶつかったかのような衝撃」は大袈裟でない。
アスファルト上にも「ここまで天国、ここから地獄」みたいにくっきりラインがあった。
やはりバイクは半袖で乗るべきではない。
大粒の雨が痛いこと痛いこと痛いこと痛いこ…。
(しかし、なんだか面白いのでUターンして引き返す。)
…ああ、そうかい。きちんと墓参りしねぇと地獄に行かすぞとでも言いたかったのかな?父上様。
2005-08-28
2005年
8月
28
日曜日
名古屋全中から、台風に追われながらの25日21時の帰着。
26日夜は、部活の懇親会。
校区のアサヒビール園で、生徒、保護者約50名がジンギスカンをつついた。この1年間の生徒の成長は、保護者の笑みを誘う。
ひとえに部活というが、色々中々大変だ。その大変は、保護者というサポーターがいてくれるからこそ払拭される。
大人だけの2次会からは1時半の帰宅。
頑張って今朝10時からの稽古に向かう。
お茶を買いに寄ったコンビニで、ばったり女子部員に会う。「朝3時から3人で起きていた。」てっきり四方山話の夜更かしだと思った。
道場には、他校の生徒が親にせがみ、今日も2名来ていた。
そういえば「明日の練習は早めに切り上げて。」と、夕べ親に言われていた。
思い出してそうしたら、ちょうど保護者達が来た。
なんか持っている。
みんな車座になり、「ハッピーバースディ!」ってか!。
俺がかなり正確にデフォルメされた「バースディケーキ」の似顔絵に、かなりの感動と少々の戸惑いを覚えながらロウソクを消す。
「!(そうだったんだ)」…道場の畳に並ぶ名古屋の土産とケーキは、余りにも甘いモンだらけだったが、夕べのビール以上に酔う。
しゃーない、不惑の年を間もなく迎えますが、頑張ります。
2005-08-26
2005年
8月
26
金曜日
俺と一杯飲んだがために「柔道部やります!」と、柔道未経験のぶんざいでほざいた。
ややしばらくして、「柔道部作らせろと言ったらはじかれました。」と、時間講師のぶんざいでほざいた。
厚沢部全道大会の夜は、居酒屋で「こいつ自腹で来たぞ。」と紹介したら、札幌中体連の仲間は次々と財布から札を出し、重ねていった。
ヤツは拒んだが、「出世返しでいい。」と束を渡した。
お盆をはさんで、どこかの浜で昆布干しのバイトをやったらしい。
飛行機と宿代を稼いで名古屋全中柔道大会に現れた。
部活はないが、自校の生徒の応援だ。鞄持ちでもなんでもやる。
「全中個人70kg級決勝進出!」…惜しくも敗れたが堂々の準優勝。
「「採用1次試験どうだった?」」「通知を見るヒマもなくこっちに来ました。」
台風11号の影響でどうなるかと思われたが、我々は同じ飛行機でセントレア空港を発った。
帰宅後、携帯で「2次試験」へのハッパをかけるに至る!。
これを知れば山下先生もエールをくれることだろう。
2005-08-20
2005年
8月
20
土曜日
すごいものを見せつけられた。
「ラッキー」とか「ついている」なんて言葉で片づけられては余りにも失礼だ。
「如何なるピンチにも、心動ぜずに切り抜ける。」
一体どのような指導を進めてきたのか、もしもどこかで香川先生とお話しできれば聞いてみたい。
明日名古屋に向かう途中で、もしも空港ですれ違えたならば、ちょこっとでも香川氏の肩にでもタッチして、「ラッキー」をわけてもらいたいもんだ(おっと失礼…)。
名古屋レインボーホールでも、肩書きだけの代表監督とはいえ、北海道勢の粘りを見せたいものだ。
2005-08-19
2005年
8月
19
金曜日
「zzr0831号」…今や「通勤快速」の代名詞。
両サイドについているパニアケースも、洗濯が必要になった柔道着を運ぶ入れ物。
「ツーリングに行きてぇ!」…想い果たせず、結局今年もというか、フォトアルバムをたどると、98年に奥尻島に行ったのが最後。
'98…まだまだ南西沖地震の傷跡が生々しかった。

しかも、宿の予約ナシの上陸だった。
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2005-08-18
2005年
8月
18
木曜日
「ヤマシタヤスヒロ」
世界の「頂点」。
少年時代の「憧れ」。
真の「柔道家かつ教育者」。
「模範」…我が身にはあまりに遠すぎて「師範」とは呼べない。
全中札幌では、柔道ルネッサンスアピール宣言にあたり、開会式に臨む選手を座らせ、わざわざステージから降壇し、
自らマイクを持ち、後世に語り継がれる感動的なスピーチを頂いた。
<草野球ならぬ、干し草柔道しか知らぬ我が身にとってはこの上ない役得。しかりと「挑戦」の二文字を4枚の色紙に頂戴した。>
今日、名古屋全中の宿舎通知が届く(万博での混雑で、手配がパニックと聞いている)。
ところが、「あれ?大会本部のホテルだべや…」
夜になって、海馬の詰まり氏よりメールが届く。
「…進歩時有無…いや、シンポジウム?…参加?」
「世界のヤマシタ」を交えてパネルディスカッションするということらしい。
いやいや参った。
ホントやばい。
でも折角だ。
世界の「底辺」代表として語ろうかと思う次第。
2005-08-17
2005年
8月
17
水曜日
この1週間というもの、給食代わりにスープカレー三昧である。
なにせ
マジスパが勤務先から徒歩3分であるからしかたない。
今週も4回目、今日も無茶苦茶混んでたが、顔パスですんなり通してもらえちゃった。
お決まりは、「虚空50」にマジックマッシュ(生食できるタモギタケ)のトッピングである。メイン具材は気まぐれだ。
それにしても道外ナンバーが多い。その陰に、マスターのガヤルドが鎮座している。
昼がマジスパなのに、カミさん両親のリクエストで夕食もスープカレーだった日があった。
国道12号を通過中に「
らっきょ
大サーカス」を偶然見つけた。7月にオープンしたばかりだそうだ。らっきょのマスターが井出さんだから、きっとここの店長が安田なのだろうと思ったら、それは違った。
店のコンセプトらしいが、なぜサーカスなのかはわからなかった(店員はピエロの格好で、玉乗りしながらメニューを運ぶと良い)。
久々に「
棗や」にも行ってしまった(樺沢氏のサイトより)。
さすがにもう、カレーなんて見るのもイヤだ。
…でも、明日はどうしよう。
2005-08-15
2005年
8月
15
月曜日
21日から名古屋全中へ。
盆休み返上での部活動。
稽古に来る部員も普段より少ない。それでも入れ替わり立ち替わり来るのだからえらい。
「墓参り行ってましたor行ってきます。」
「「どこ?」」
非常に多くの家が
真駒内滝野霊園である。
zzr0831号の画像、モアイ像がずらりと並ぶ、これがそこであり、我が父が眠る。
墓場というよりも公園といった方がふさわしい、風光明媚な場所だ。
いずれは近所づきあい…?。
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