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2005-08-15
2005年
8月
15
月曜日
テレビで「家庭教師のト○イ」のCMを見て、ふと思い出す。
約20年前、週二回、26,000円の家教のバイト。
さすがにメールなんぞあるはずもなかったが、行き当たりばったりの授業ではあった。
その上、メシをご馳走になった。
しかも、酒もご馳走になった。
なんと、アイスまで頂いた。
それから授業($&~*+??)みたいなことをした。
「一体俺は何しに来ているのだろう?」…とは、思った。
「これは、もしやサギではないか?」…と、一応は己を疑った。
二条市場の、魚屋のバイトを終えて直行、「特長(いわゆる膝まである長靴)」のまま玄関をくぐったこともある。
その時は、白玉入りのお汁粉をごちそうになっちゃった。
「家庭教師のト○イでは不採用です。」…CMでいかがか。
2005-08-12
2005年
8月
12
金曜日
P504iが丸3年経った。無造作にカバンにつっこむから、あちこち塗装がはげ、「使いこなされた道具」の風情が漂ってきた。

カメラもおサイフも別にあるから、おかげで厚さは15mmだ。着メロはどうせYMOだから、歌もいらない。
ボタンひとつで「ぱくっ」と開くのも気に入っている。
しかし、困ったことに、バッテリーが上がりやすくなった。
バッテリーを買いに電気屋に行ったら、ドコモショップに行けと言う。
ドコモショップに行ったら、待たされたあげく、取り寄せだという。
短気を起こして某Voショップに行き、「カメラなしの、薄くてぱくっと開くのないですか?」と、ないに決まってるクセに一応聞いた。
「これ、テレビ見れますよ!。」…会話すら噛み合わない。
そういえば、ゴムのフタがとっくに切れてなくなっている。ずっとそのままだ。
汚れた端子を拭いてみたら、なんのことはない。
バッテリーを改め見れば、ニッカドじゃなく、リチウムイオンだ。
「メモリ効果」のなんたるかくらい…俺のメモリが減ってたか。
2005-08-11
2005年
8月
11
木曜日
世の中にどんな仕事があって…諸々学ぶ。
良い機会だ。今の生徒がうらやましい。
ぎっしり詰まった名刺帳を眺めながら、受け入れ先開拓に電話をかけまくる。
「お前の頼みなら。」…高校時代の仲間、全中で関わった方々、柔道関係、かつての教え子…と、その辺の恵まれをひしひしと感じる。
「人としての生き方を学ぶ機会が総合学習」であるならば、この辺をしっかりと生徒に伝えなければと思う。
2005-08-09
2005年
8月
09
火曜日

千歳航空ショーは、バイクで行くべきだ。結局会場にはたどり着けなかった。
十勝川温泉の「
三余庵」にて、世界でドイツとここだけのモール温泉に浸かり、俺も妻も美人になる。
しかし、北海道各地が誇る食材がなまら手の込んだ料理となって並び、美人は太る。
生まれてこの方、ここ以上の美味いモンに会ったことはない。
年に一度、ここへ行くためにせっせと働く。
RX-8を駆り、糠平湖へ向かう。

今年の北海道遺産は、昨年よりも長い美脚を披露してくれた。
道すがら、グッタリしたミゼットやテントウムシを屈足(くったり)の道ばたに見る。

十勝平野はどこをとっても絵になり、ついつい立ち止まる。
三余庵で紹介された「
十勝千年の森」は、有休が悠久であってくれればと思わせる。

「鉄道員(ぽっぽや)」で、寅さんと健さんのツーショットが見たかったな…と、幾寅にて。
2005-08-06
2005年
8月
06
土曜日
昨晩の、TBSテレビ特番「
ヒロシマ」を見た。
原爆開発者と被爆者のやりとりが最後にあった。
「お前の方が強く殴った(原爆)べ!。あやまれ!」
「なにいってんだ!先に殴った(真珠湾)のはお前だべや。」
非常かつ非情に無念ながら、中立的かつ極めて客観的に見ればこう映る。子供のケンカのメンタリティーと大差ない。
5年前に初めてヒロシマを訪れ、夜中に繁華街から原爆ドームまで歩いたことがある。
町の喧噪を離れるにつれ、徐々に闇に浮かぶドーム。
それが、物理的な存在から瞬時に消え去った方々の髑髏にも映り、酔いも覚めた記憶がある。

「こら!そったらことしたらなまら大怪我するぞぉ!やめれや!」という「地球的大人」の存在…スペースシャトルからは見えないか…。
2005-08-05
2005年
8月
05
金曜日

初のインハイ観戦だったが、ついつい運営に目が行きがちだ。残念ながら北海道勢は不振だが(明日はどうか)、改めて歴代入賞記録を見るとなかなかどうして、大したものだ。
それにしても暑かった。不忍池から上がった犬のように、汗でグチャグチャになって上野を歩いていた。
古い友人のお陰で、初めて銀座で飲んだが、グチャグチャでユニクロなヤツは他には見あたらなかった。
寅さんこと、渥美清の命日とは知らず、柴又にも立ち寄った。
「結局お前は何しに行ったんだ?」と言われそうだが、「それをいっちゃあおしめぇよ。」
2005-08-02
2005年
8月
02
火曜日
明日より千葉へ、かつての教え子の応援だ。ついでに、向こうで活躍中の、担任だった教え子とも会ってくる。
そういえば昨日、現役生徒から「先生はたくさんの卒業生と関わっているけど、みんな覚えているの?」と聞かれた。
A1)顔は改造、あるいは大きな変化がなければほとんど忘れない。
A2)名前は経年記憶劣化する(ふだんでさえ怪しい…)。
A3)印象的な出来事(良くも悪くも…)が記号になっている場合が多い。
A4)年賀状やメールが続いていればOK。
最近一番怖れているのは、
道ばたで突然「こんにちは!」である。
「お、おお、ひ、さしぶ、り。」となる。「おまえも**才だよなぁ。」なんて適当につなげながら、必死に記憶をたどる。
素直に「おまえだれだっけ?」と聞けば良いのだが、「なーんだ、忘れられたのかぁ…。」と言われた後の心の
モヤモヤがイヤなのだ。
そんなわけで卒業生のみなさん、どこかでお会いした時はまず名乗りましょう。お願いですから記憶をたどる時間を下さい!。
…しゃべっているウチに最初の本題と離れることが増えた昨今。
2005-08-01
2005年
8月
01
月曜日
全道中体連柔道から帰ってきた。
悲喜こもごもの様子は別に語るとし、大雨の中ようやく到着して口にした昼飯にやや感動。
この、贅沢ウニラーメンが650円とは!

宿泊した江差では、磯の香りがプンプンした天然アワビ、朝取りの透明なイカとも出会えたが、なにしろ妄想が膨らみすぎていたため、ちょっとがっかり。
しかし、名古屋全中への切符にニンマリ。
2005-07-28
2005年
7月
28
木曜日
13年目を迎えたzzr0831号こと、KawasakiZZ-R1100D1(since1993)

自慢じゃないが年の割にはきれいである(でしょ?)。
昔のプラモ作りの経験を生かしてみた。
<軍艦のマストから艦首、艦尾に張られたロープを作る際、ライターの炎でランナーをあぶり、溶けたところで引っ張ってできる細い繊維を利用した。重要なのは、残されたランナーがツヤツヤしたことだ。>
リヤフェンダーやチェーンカバーは、プラスチックの生地がむき出しで、経年劣化が進むと白っぽく濁る。
ものは試しで、ガスバーナーで炙ってみたら、5~6年分はツヤがもどったろうか。
図に乗って、エンジンも炙ってみたら、新車時のパワーが蘇った!
…んなわきゃないか。
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