ZZR0831 Weblog

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2004-12-31

2004年 12月 31 金曜日

「幻or元祖的…スープカレー」

「札幌羊ヶ丘展望台」、クラーク象が立つ有名な場所だ。「カイエン」といえばポルシェのカタログモデルだが、店名に合わせて辛さの表示も「カレラ…」とか、そうなっていた。
スタンプサービスはどこでもあるが、「20スタンプで権利発生」は珍しい。
「仮に2万円払っても提供しない。」
「1年に12回しか作らない欧風ルーカレー。」
「仕込みに一月を要し、ある食材を丹念に溶け込ませ、裏ごしを10回以上…」
なかなかそそるが、夜の店内は夜景の展望を重視するあまりに暗く、折角のレギュラーメニューも視覚で味わうことは難しかった。しかし、ほうれん草を丹念に煮込んだルーがとても真っ黒く見えたのは記憶にある。よく見えればかなり美味いのかも知れぬが、そうでないと味覚は不安定、これも面白い経験だ。
 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
年末恒例の大掃除の合間、常連の「アジアンスパイス」に行った。昼時なのに、スープカレーブームなのに客が他にいない。メニューが増えたのに価格は大幅値下げ。「元祖」は当たり前になって、客は目新しい他に流れるのだろうか?…という心配は、帰る頃の満席で安心に変わった。

いずれにせよ、札幌市民の多くが今日もなお「カレー」に翻弄されているのは間違いない。

たかが食とはいえ、なんと「マジックスパイス」なものよ。
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2004-12-27

2004年 12月 27 月曜日

静寂であることのもてなし

ニセコに、家族で営んでいる宿がある。一日二組限定で、せいぜい七人が限度だそう。

バブル期、どこぞの企業の保養施設だったらしい建物には、その当時の最高水準の音響装置や200インチ程のスクリーンがあり、テレビやレーザーディスク(!)を楽しむことも出来る。クオリティとしては、70年代以前の古い映画が合う。

目当ての温泉は、ここ専用の源泉、かけ流しであり、大窓を全開にすると露天風呂に様変わりする。

各所のしつらえはやはり年期を感じるが、さすがに金のかかったものばかりで、なんともバブリーでレトロだ。だからこそ、「壊れたら直せない」と主は言う。

付近の契約農家や漁師から直接買い付けた食材は、どれも持ち味を生かした女将さんの手作り料理として、これまたワンオフのテーブルに並ぶ。

どれも素晴らしく美味しかったが、最も感動したのは「米」であった。出所の明らかな、混ぜもののない米は、その都度精米されて炊かれ、一粒ずつが煌めきを放ちつつ存在を主張する。

なんと客室にはテレビがない。室内にはわずかに空調ファンの音が聞き取れるだけ。外は深雪がすべての雑音を吸収する。

何も聞こえないことがこれ程の贅沢とは。
金子みすずの詩集が部屋に置いてあるのは正しい心配りだ。
携帯の電源を切ったのは正しい行いだった。
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2004-12-26

2004年 12月 26 日曜日

妙な習慣

ついつい、「どうせ買うならおまけ付き」というクセが付いた。きっかけはたぶん、「サーキットの狼」のミニチュアカーが首にぶら下がった缶コーヒーだったと思う。
机上の棚は、スーパーの駐車場にスーパーカーが並ぶが如くである。総額5億円は下らないだろう。
その脇で、自衛隊のF-15戦闘機が離陸しようとしているかと思えば、さすがに煙こそ上げないがD-51がレール上に鎮座している。
スケール感が無視されている故に、いずれにも乗れぬ仮面ライダーは直立不動のままで、それをガンダムとアムロの胸像が黙って見守っている。
理由はわからぬが、その脇で松井秀喜がガッツポーズをし、コスモ0が頭上をかすめている。
遠い将来、一財産にならぬかと淡い期待を抱いているが、掃除好きの妻の視線は明らかにそれを否定している…。
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2004-12-19

2004年 12月 19 日曜日

どうする?あなたが学校の先生だったら…

公立学校教師が、酒気帯び運転以上、体罰その他で処分された場合、程度によって新聞掲載され、何らかの処分は免れようがない。たとえ一月の休職であっても、数十万円から100万円以上の所得減、および社会的信頼失墜は覚悟せねばならない。

非常識教師の存在は確かに事実である。責任を持って採用側は筆記試験以外にも重きを置き、資質をしっかり見抜き、その上で社会的責任の重圧と、実務的労働量に見合った保障を与えるべきだ。その責任を被雇用者へと転嫁するのは卑怯である。

それはともかく、例えば…(充分あり得るフィクション)
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帰宅後に一息ついて、缶ビール一つ空けかけた所に、電話が鳴った。家出中の生徒から悲鳴に近い助けを乞う声が聞こえた。タクシーや警察に連絡した所で間に合いそうにない。もしも行かずして、その子に何らかの被害が及んだらと思うと…
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教室で生徒同士がケンカを始めた。仲裁に入っても良いのだが、生徒の身体に触れることは体罰だ。そういえば、仲裁に入って生徒が足を机にぶつけ、処分を受けた話を聞いたことがある。かといって止めなければ収拾がつかない雰囲気だ。放っておいたらそれこそ責任問題である。
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よく頑張った子供の頭をなでてやるのはごく普通の光景だ。しかし、お上は触れること自体がセクハラになる場合があるから注意せよという。逆に子供は平気で身体を寄せてなついてくる。バカバカしいようだが、気を遣う必要がある。
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お上は、教師の不祥事が多いのでもっと処分を重くするとコメントしている。世間は報道を虫眼鏡で見るかのように、そして粉骨砕身働いている教師にさえ色眼鏡をかけるかのよう。

多くの教師は、ただでさえとても勤務時間には収まりきらぬ業務に帰宅後も、そして休日返上で疲弊している実態がある。
ましてや本務ではなく、教師の「個人的なボランティア活動」である「部活指導」に、周囲が口を挟むことなど筋違いである。しかし、実際はそうではない。

「社会的責任」はどのような職業人であろうとも持っているはず。教師の不祥事のみのクローズアップが適当かは大いに疑問である。責任の大小のみで説明されるべきか?

職業別データはないか?
平均寿命、健康障害、自殺者…それらにおいていかがなものか。

「別の職業資格」を取ろうとしている教師がいるが、転職にはなかなか踏み切れない。勤続の長い教師ほど、度胸も含めたつぶしの利かない、可愛そうな性を持つ。
posted on 2004-12-19 カテゴリ: 学校 - 1 個のコメント - 0 個のトラックバック