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2005-12-21
2005年
12月
21
水曜日
zzr0831-3号こと、YS-870のスノーシューターレバーがぽっきり折れ、除雪機の投げる雪の方向をコントロールできないという事態に陥った。
(ホント厄年、よくも色々なモノが壊れるわい…)
応急処置として、スノーシューターのワイヤーに直接、「縄」をくくりつけてみた。
(植木の雪囲い用の余り。そういえば昔、
ビッグシューターという名機があった。
除雪機の速度と、シューターの左右をコントロールしながら、適時「縄」を引っ張って雪投げを試みる。
(どう考えても腕が一本足りない)
「どーどー」…まるで昔の北海道の冬、どさんこ馬そりの運転気分。
(シャンシャンシャン…という、馬そりの鈴の音が聞こえる気がする…わきゃない。)
ただし、まるでいうこと聞かない荒馬だ。
(雪は結局、四方八方へまき散らかる。)
ロードヒーティングなんて贅沢な代物は我が家にはない。
25kgの塩化カルシウム…つまり「塩」をごっそり蒔いてみた。
(これが1780円と、なかなかのコストだ…)
しかし、これがどんどん雪を溶かし、しかも、CO2の排出量は「0」だ。
(よし、当面はこれでしのごうか。)
でもな、早く部品送ってくれよYAMAHAさん。
(ハチのシャーシが錆ちまう…。)
2005-12-18
2005年
12月
18
日曜日
どうでもいい垣根は取っ払っちまえばいい。
たとえば、スープカレーとラーメンがそう。
どっちも美味いんだから、一緒にすればいいべや。
我流る
いわゆる出身校による閥も×(バツ)。
誠にくだらない。
ただでさえ狭い区域をなおさら区切ってどうする!…K泉さんじゃないが、ちょっと頑張っているつもり。
旨味が混じって調和すると、
新たな未知が道となる。
札幌中体連柔道はそのつもり。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌日wrote…(あ、また酔っぱらってワケわからんこと書いてる。それにしてもいいだけ飲んで写真まで入れてる俺って、ある意味すごいな。)
2005-12-16
2005年
12月
16
金曜日
今日は、3年生の授業だった。
「
でん電虫ラジオ」は、今年2,3年生全員が題材として製作している。
1年生は「来年絶対に作らせてね!」とか、教職員は「おい、あまりはないのか?」といった具合に、校内ではすっかり好評で有名になった。
震災への不安が高まる中、手回しで発電できて、AM/FMラヂオが聴けて、効率の良い高輝度LEDの懐中電灯がセットになったキットは、完成率の高さも相まって誠に理想的な題材だ。
教材会社である、久富電気のアイディアにはいつも共感を覚える。俺が「こういう題材で授業をやってみたい。」というテーマに、痒いところに手が届く感じで教材を提供してくれる。
技術科関連の人間の中には、キットというだけで異を唱える者もいるが、YMOも言っているとおり「良いものもあれば悪いものもある。」のである。
授業の合間、「受験勉強で昨日のプロジェクトX見られなかったよ。楽しみにしてたのに…。」
たった13回の授業の一コマを裂いて、内燃機関をテーマにした。目の前で気化燃料を爆発させただけのことはある。
(生徒の頭上に、紙吹雪や缶コーヒーのおまけが舞った)
さらにそのたった数分ではあるが、ロータリーエンジンについて触れた。昔、後輩から奪い取った、12Aのローターとハウジングが役に立つ。
3年生最後の授業は、P-X最終回をテーマとしよう。
なんならアルミのボンネット開けて実物を見せてやろうか。
(おい、ボディには触れるな!)
2005-12-13
2005年
12月
13
火曜日
今晩の
プロジェクトXには釘付けだった。
マツダは永年に渡り、実に多くの困難と闘ってきたメーカーだ。特にバブル崩壊の頃はホントにダメかと思ったものだ。
(マツダのくせにトヨタ気分になったのは、その当時のサービスマンですら不安がっていたものだ。)
やがてマツダは、文字通りmazdaになっちゃった。
(そのままアメリカの会社になり、もしかしたらOHVエンジンをロードスターに載せるんじゃないかと、冗談で思ったものだ。)
RX-8は、まずはエンジンありきのクルマであるが、幹部から突きつけられた4ドア化の難問をクリアしたからこそ、素晴らしく美しくて機能的なボディが出来たんだな。
(レネシス・ロータリーエンジンの開発経緯や、幹部からの4ドア化の要求等々…さすがNHK、素晴らしい番組としてまとめてくれてありがとう。)
開発者の心意気がダイレクトに伝わってくるマシンというのは意外と少ない。RX-8は、その一つだからというのが手にした大きな理由だ。ZZR1100とその点は非常に共通する。
「機械バカ 今日はとっても 嬉しいな」
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2005-12-11
2005年
12月
11
日曜日
朝起きたら銀世界。
愛機:2号「ハチ」の2足では、車庫から公道にすらたどり着けない深さ…いよいよ根雪だな。
(降って、積もって、
30日間融けなかったら「根雪」の権利が発生するのだそう。記録は意外にも、最遅が昭和20何年だったかの12月20何日だそうだ。)
愛機:3号「除雪機YS-870」の出動だが、さらに4号:「融雪機の融冬生くん」もボイラー全開だ。
(…札幌の山の上は大変なんだって。石炭手当減らすなって。)
4駆のB4から後輪駆動のハチに乗り換えて、実質初めての積雪路面。
覚悟はしていたが、発進ダッシュはホント、
ゆるゆると心許ないし、少々の勾配でも坂道発進は不可能。
-2駆動輪分の代償は大きいが…DSCのおかげで尻フリは超安心で、アクセルをガツンとあててもほぼ絶対にスピンしない。
この、
緊張感とダイナミックさの境目たる面白さが欲しかった。
しかしこんなことでは、燃費はおそらく「5」を切るのだろうなぁ…。
2005-12-08
2005年
12月
08
木曜日
仮に、各クラスで6人分の給食が残ったとしよう。
本校は17学級だから、6×17=102人分の生ゴミがでるということになる。
つまり、1年1組から1年3組全員分の食事をゴミにしているという計算だ。
そして、これらの生ゴミはどのように処理されているのだろうかと想像してみよう。
いっそ、家畜のえさにしてリサイクルすればとも思うのだが、衛生上の不安やBSE問題などを考えるとムリだろう。
たぶん、川下や駒丘の清掃工場で焼却処分されているのだと思う。
水気を含んだものを燃やすには、相当多くの火力が必要だろう。なにしろ完全燃焼させなければダイオキシンの不安があるからな。
全くおかしな話だが、我々のエネルギーや体の元になる予定だった食物が余され、さらに膨大なエネルギーを使って処分されていると言うことだ。
農家が心血を注いで育てた野菜や家畜、漁師が命がけで採ってきた魚、工場で神経を使って加工された食品、そして調理する者が愛情を込めて調理され、料理となって我々の前に並ぶ。
しかし、「いただきます」は、それらの方々への感謝ではない。我々の命を支えるために命をくれた、もともとは生き物だった「すべての命」に対して捧げられるレクイエムだ。
毎日の給食で、ごちそうさまのあとに必ず食缶の中をのぞく。空っぽだと何となくほっとし、残食であふれそうになっていると敵をやっつけた後のブルースリーのように、悲しい表情の気分になる。
あまりにも尊い食物が、あまりにも単純な理由であまり、あまりにも多くのエネルギーを使って処分されるという、あまりにも無念なサイクルだ。
そこへいくと、我々人間の体というのは、とても素晴らしい生ゴミ処理機だ。食べたものをしっかりとエネルギーや体の組織に変えて、いらないものだけをうんちにする。うんちは自然界において再びエネルギーになる。
もちろん、我々が食べる目的は、うんち製造マシーンになることではないと言うことはいうまでもない。
ただ、残すときには、「いただけませんでした。ごめんなさい。」という心と、それなりの理由や工夫が必要かなと思うのです。
…ということもあり、担任の大越冬(ダイエット)はなかなか進まずであります。
(…以上、今宵の学担通信でした。)
2005-12-07
2005年
12月
07
水曜日
12/8は、「
ジョン・レノン」の命日であり、太平洋戦争開戦の日…つまり「トラ・トラ・トラ」の電令が伝えられたとされる日。
愛と平和を訴求し続けた人物が、かの開戦日と同日に
凶弾に倒れたというのは、なんという歴史的皮肉か。
「火垂るの墓」「男達の大和」といった、終戦60年をメモリア
る作品が綴られた2005年ではあるが、果たして今の子供らにどれだけ届いたのだろう…。
(話題には少々なったかもしれんが…)
明日は
開戦危念日である。
戦争の悲劇をもっと
イマジンすべきとの思いがあるが、終戦記念日ほど騒がれない。
せめてその思い、
教壇から放つべしと思うが、フィーバーするだけの時間をくれと言いたいところ。
2005-12-06
2005年
12月
06
火曜日
大学柔道部のOB会があった。
なんと、今回は懇親会の司会を仰せつかっちまった。
昭和一ケタをはじめとする大OB方々は、過去の栄光話に花を咲かせるのが恒例。
昭和7年(!)の全国優勝から始まり、予科練時代を通過して、ふがいのない現代への憂いへと、延々と熱のこもったお話は続く続くつづく…。
「若いのはなにやっとる!。」…というわけで、今回は若手の出番もつっこんでみた。
(といっても40付近です)
少子化や指導者不足に関する現在の窮状や、そんな中でも知恵を絞って取り組んでいる様を、負けずに熱く語ってもらった。
(残念ながら大先輩達にはあまり興味を示してもらえなかったご様子)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌日は、白石区の武道大会であった。
(審判マニュアルには、
前日の飲み過ぎには気をつけろと明記してあり、…やぶったらやっぱしきつかった。)
平成一ケタ生まれの参加者は、年々減少傾向にあるが、それでも約70名を数え、その分一人でも多くの子が1試合でも多く経験できるように工夫してみた。
ふだんから顔を合わす同士だろうが、ましてや同じ学校同士だろうが、
100%本気モードのガチンコバトルに痛快だった。
ご安心ください、大先輩の皆様。
ひ孫達のこれから、なかなか捨てたもんじゃございません。
わずか土日の2日間とはいえ、70年の月日を垣間見た思い。
2005-12-05
2005年
12月
05
月曜日
なんて日本は親切なのだろう!
(外国なんて知らないくせに見栄)
コンビニでは、温かいものと冷たいものを、わざわざ違う袋に分けてくれようとする。
しかし一緒にしたとして、ものの数分で冷たいコーヒーがぬるくなり、温かいおにぎりが冷めてしまうわけでもなかろう。ずっとあとで食べるなら、温めたこと自体が無駄だし。
(エコ心ってぇのは、なかなか浸透しませんな。)
スーパーでわずか1200円の支払いだったが、カードを利用したことがある。店員が「お支払いは何回にしましょうか?」と尋ねてきた。一瞬考えてしまった自分が愛おしかった。
(リボ払いにしたらどうなるべ…)
2005-11-29
2005年
11月
29
火曜日
Jo先生が来た。
勤務先に来た。
ホントに来た。
中学28年生にして、家庭訪問…ならぬ
「職場訪問」に会う。
(すっかり酔った勢いの戯言と油断していたんだなぁ…。)
同僚の幾人かが知り合いということもあるのだろうが、我が仕事ぶりをうかがうための老婆心…いや、
老爺心であろうか?
そういえば20年前に、俺が採用合格の報告をしたときに、「
昼飯でも喰ってっか?。」と誘われた。
…誘われるがままに行き着いたは…なんとも「1年3組教室」で、初対面の生徒ども相手に
「給食」をもぐもぐ喰ったんだった。
では、「その時のお返しを!」と思ったが、それはかなわなかった。
「孫の顔を見せたかったなぁ…。」の心境。
きっと喜んだに違いない。
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