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2010-08-02
2010年
8月
02
月曜日
全道柔道大会の審判長として稚内へ。
7/29、結果的に各地が冠水したり通行止めになるなどのほどの大雨。
(zzr0831-1号を諦め、2号発進)
この一月で3度目の北緯45°越え。
大会前日の朝、
開基百年記念塔・北方記念館に寄る。
400円払って見えた景色也。
さて働くか…。
7/30は、大会会期初の試みの審判講習会。
7/31大会初日は滞りなく。
それでも、「いやー疲れたわい」。
8/1も良い大会だった。
仕上げは全国大会参加説明会。
稚内を発ち、小平町鬼鹿にてウニ丼。
なんだかんだで柔道の仕事はいい。
2010-07-22
2010年
7月
22
木曜日
再び稚内へ。
学校行事をキャンセルし、さすがに終業式には間に合わなければならない…というわけで飛行機を選択。
ここのところ天気が良くないそうだが、非常に涼しい。
(猛暑の日本列島において、日本一幸福な場所かも知れない)
前夜の実行委員会のあとは、意見交換を兼ねた懇親会。
特に
札幌柔道プレスと
北海道中学柔道専門委員会webは好評と聞き、嬉しい。
男女団体とのべ14階級におよぶ個人戦の組み合わせ抽選は、ほぼ滞りなく終えた。
プロペラの間に利尻富士が一瞬見えたものの、あとは雲しか見えない。
しかし暗雲ではなかった。
2010-07-04
2010年
7月
04
日曜日
未だどう読んだら
稚・内→
わっか・ないと読めるかわっかんない。
(まいいか)
全道大会打ち合わせのため7/3の朝発つ。
(途中雨に降られるが、気にせず一路稚内)
予想よりも早く着いたので宗谷岬による。
日中の気温は20℃を切っている。
昼食は三色丼2100円也。
14:00~16:00にかけて全道大会の打ち合わせを潮見が丘中にて行い、さらに会場へ。
4年前に行ったときよりかなり広く感じた。
宿に向かう途中ノシャップ岬へ。
(うっかり納沙布岬に向かうと、さらに500kmは走らねばならないから注意)
防波堤などに寄る。
稚内副港市場に「港の湯」ありと聞きさっぱりする。
さてお楽しみの晩酌は…創薬労使…ん?…宗谷黒牛を喰うべきと聞いていたが大黒町界隈では発見できず、「
つぶ焼き」などを肴に軽く一杯済ます。
(誰かにつぶやくこともなく、宿にて受験勉強)
さて帰るか。
雨は上がったが、雲は厚い。
(残念ながら利尻富士など見えず)
少しのんびり帰ろうと中川さんでソフトクリーム。
(めちゃくちゃ甘い)
音威子府では、レインウエアに着替えるヒマもなく土砂降りに祟られずぶ濡れル。
這々の体で着替えたら晴れ蒸れル。
深川で遅い昼飯は、
より大きな地図で 美味いモンマップ を表示
深川ICを降りて国道12号交差点の「かずよし」。
(塩ラーメン美味い)
ところで稚内全道大会、予算不足で審判員の経費がないとのこと。
(どうしていいのか俺もわっかんない)
もちろんこの出張も自腹。
(なに、「遊んでんだろ」って?…そうでもなきゃやってられません)
二日間で約860km、1400GTRの走行距離は4月以来早くも4000kmに近づく。
(それにしてももってこいの相棒だ)
2010-06-30
2010年
6月
30
水曜日
「聞いていると思うが、A級ライセンス試験がんばれよ」と、大親分からの電話。
(聞いてません)
様々な手前、落ちるわけにはいかないが、何しろもともと柔道素人、柔道の歴史や形の諸々などそこそこのこそこそだ。
過去の問題を見る。
(まったく阿寒に悪寒)
よし、受験勉強がんばろう!
(お、お願いだから良い親子でいてね)
学級担任の心配因…
(指導を重ね、もしや反則負けにおよぶは審判か?)
2010-06-25
2010年
6月
25
金曜日
3年前、前任校を会場に男子優勝、女子準優勝。
それを最後にそこを去り、明日はそこを会場とする。
そこは今は寂しく、俺も今は寂しく。
なんとかならんのかねぇ…。
2010-05-25
2010年
5月
25
火曜日
2010-05-16
2010年
5月
16
日曜日
KAWASAKI1400GTR…北海道もようやく良い季節になった。
かつての教え子の両親が営む歯科医の桜は見頃だ。
遅い遅い札幌の春だ。
夕べは、前の同僚と花見を囲み、そこに赴任した教え子のyuuとさらに一献。
今宵は札幌柔道連盟の懇親会。
桜は咲くのだが、札幌・少年柔道はなかなかもどかしい。
なんのことはないんだが、
俺か誰かが
①道場のある札幌市内の学校に散らばって赴任する。
②子供らが気軽に来ることができる利便性のある学校。
政令指定都市だもの。
こんくらい頼む。
2010-05-09
2010年
5月
09
日曜日
5/8 札幌市中学校柔道体重別選手権大会
監督でないというのは誠につまらないが、大会後に予定されているIJF審判講習会はしっかりと、たとえ二日酔いでも務めなきゃならん。
50部の資料は結局足りなかったが、全道各地への周知という点ではまた頭を捻らねば。
本日の段別選手権、かつての教え子もずいぶん頑張っていた。
特に10年ぶりに畳の上に戻ったKaisakuだが、さすがに新ルールが頭になく、足取り反則負けを喰らってしまった。
(足を取ると呆気に取られる)
高段者大会を高齢者大会という者もいるが、警察や刑務所関係のベテランが出ることによって文字通りの内容となった。しかし、年齢を重ねても柔道は楽しいものだということを十分に証明してくれる大会であることに変わりはない。
夕方買い物先で昔の教え子Junとバッタリ会った。
約18年前?…学校中のやんちゃボンズをかき集めた。
わずか35畳敷き体育館のステージに30人の部員。
乱取りすればステージから転げ落ちる。
いわゆる他校との場外乱闘は減り、結果札幌の代表として初めて全道大会に出場した。
折角だからレンタカーを借りて網走付近をドライブし、そのまま網走刑務所に置いてこようと思った連中だ。
なにしろ、宿に着いてガキどもの部屋に行ったら…麻雀。
「一杯やるか」ということになるので、一つ下のkyo-1もKaisakuも覚悟しておくように。
2010-04-29
2010年
4月
29
木曜日
Gmailの使い勝手の良さにすっかりマイる。
元々持っていたアドレスを捨て、今やどこでも開けるこれ一本。
Todoリストもいい。
なにかと慌ただしい転勤初月だからこそ、ずいぶんと救われていることを実感す。
勤務先には新しいネットワークシステムが導入された。
セキュリティ強化のためGmailは使えない。
当初は机上に2台のノートpcを並べてもみた。
(Gmailが使える系統と使えないもの)
馬鹿馬鹿しくなって、結局は古い系統のものを置いている。
書類を印刷するときは、メディアに入れて歩いて別のpcから行う。
これも馬鹿馬鹿しいが、「学校の職員室用のパソコンでもGmailを使えるように」という声は一笑されたに等しい。
で、結局は自腹でプリンタを置くしかないみたいな結論。
できるようになって良かったと思えばできなくなる。
そこでまた余計な知恵と出費がかさむ。
そもそも学校職場でメールを積極的に利用するという雰囲気は未だ乏しい。
乏しいが、日本中体連柔道、北海道中体連柔道では幹としたい。
札幌中体連柔道ではとっくの昔から太い幹。
2010-04-26
2010年
4月
26
月曜日
札幌地区高体連柔道春季大会2日目
勉強のため、今日も高速道路含めて片道40kmほど走り千歳市に行く。
大都市札幌だが、カーリング場建設計画はあるらしいが武道館はない。
きたえーるという素晴らしい総合体育館があるが、借用料が割高になったのと、なにしろ土日は「イベント」優先で確保が困難だ。
なので、札幌の柔道大会の多くは千歳で開催される。
空港の町なので、本州から来る人にとっては好都合だろうが…
(滅多にいません)
自分が高校生の時は確か50高校ほどのエントリーだったはずだが今回は28チーム(男子団体)だった。
札幌市の中学校の柔道部もここ数年急激に減少し、実質20校台か。
原因の一端としては、
1.若手の新採用が乏しいことによる指導者不足
2.ベテランが退職したり管理職になることによる指導者減少
3.指導可能な者が勤務校の都合により他の部活を持たされる
4.ただでさえ少ない柔道指導者が一校に重なる
5.道場がない、あるいは柔道の活動が難しい学校にやる気のある指導者が配属になる
などがあろうか。
手前味噌だが、かつて受け身から教えた生徒達が
遅咲きな選手として今回も活躍している。また、目立った活躍はまだなくとも日常の素行や人柄が褒められるのもうれしい。マネージャーとして巷の評判高いかつてのsy子や今の0子も、選手としてではなくとも柔道に関わりたいという強い意欲がある。自校卒業でなくとも、非常に多くの高校生と挨拶を交わせるのも楽しい。
高名な先生がかつて「高校柔道は柔道界の花形だ」と語った。
であれば、畑を肥やし種を蒔き、大切に苗を育てるのが中学。
ちなみに当方、「5.」にげんなりしょげている。
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