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2008-03-31
2008年
3月
31
月曜日
11年の最後の日。
おれは小川直也のイメージだったが、カミさんにはもんちっちといわれてしまった。
いつも以上にばっさりと散髪し、後ろ髪を引っ張られないように…なんつって。
のべ10教室分もあるテリトリーの後始末は完全には終わらなかった。
まあ、この後も時々ちまちまやればいいし、時々顔を出してもそうそうイヤな顔をするヤツもおらんだろう。
なにしろ部員はよく働いた。
合宿を終え、そのまま片付け大会に突入したが、イヤな顔一つせずどころか、楽しそうに切なそうに良くやってくれた。
宝モンだ。
職場では皆で送ろうと企んだらしいが、シャイが邪魔してこそりと抜けた。
(スマンがごめんね)
今日は結婚記念日でもある。
カミさんと
アジスパに行った。
昼は生徒達とマジスパだったから、カレー臭漂う今宵の俺。
(あ、昨日もはっちとマジスパだった)
さて、次の職場は随分と環境が違う。
マジスパもなけりゃ焼き鳥元太もない。
一番近いコンビニですら1kmはあろうか。
明日の昼食はどうしよう…
「!」
同僚手作りのカレー…だと!
ま、まさかそこまで…いや、偶然だろう。
カレー星人の心をくすぐる。
しかも初日から歓迎会をやるらしい。
わーったわかった、働きますわぃ。
しっかし、どこ行っても恵まれとるなぁ…
もう間もなく名刺の肩書きが変わる。
(名刺ないけど)
2008-03-30
2008年
3月
30
日曜日
今日は何曜日だった?
異動の後片付けに夜までかかった。
教え子達が朝から手伝ってくれた。
吉野家の牛丼特盛り数杯など安いものだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ケイタイが鳴り、「先生来れますか?」
「ああ、今出た所だ」
自分の送別会ではない。
先日お会いした、かつての同僚であり、我が道標の高瀬氏の会だ。
「ボクのガンは10のうち7つめくらいかなぁ…」
自分も一緒に関わった二世代に、ちょうど兄妹がいるYouに、開きを預けた会だ。
女子バスケ全日本3連覇のメダルを土産に抱えたまゆみが大いにはしゃいで氏を勇気づけたことだ。
もしも北京で活躍したらこの上ないクスリとなろう。
そいつははしゃぎすぎたが、みなも大いにはしゃいだ。
今日は脇役に徹して端っこにいたが、結局は自分がかつて関わった、今や大人達にずいぶんと勇気づけられた。
11年前に、氏は定年退職、自分は転勤と、同時に勤務を離れた。
氏曰わく、再任用で務めたところに今回は俺が行くのも縁。
もうひとつのサプライスもあり。
なにはともあれ、楽しい=ナチュラルキラー細胞を増やすから、今宵は高瀬先生にとって最高のお薬になられんことを。
まだまだ標して頂きたく。
マユミは全日本代表になり、直後フェリーにて北海道を離れた。
北京への奇跡を起こし、奇跡を呼べ。
もちろん、来た、来られなかったみなも。
2008-03-28
2008年
3月
28
金曜日
送別会明けからさらに3日間続いた合宿がようやく終わった。
2日目には全日本出場を決めた河合選手、かつて同じく全日本に出場した菅選手も来校し、大いに盛り上がった。
思えば物置に近い状態だった道場を掃除し、申し訳ないが卓球台には別の所へ移動してもらい、畳を敷くところからのスタートだった。
新入生歓迎会では自らのこのこステージに上がった…そして今日は11年間最後の稽古。
他校の生徒、小学生、高校生、大学生、社会人が集う合同練習会。
今日は続々と卒業生や保護者達が集まってきた。
3日も朝近くまでの宴が続き、かなりバテバテだったが、教え子達を相手に息を切らした。
実は汗まみれになりながら、時折ぐっと来るのをこらえてた。
年と共に弱るのは体力だけではないようだ。
最後に全員整列し、挨拶を述べた。
すると保護者が花束と贈り物を持って近づいてきた。
ぐっと来るのをかなりこらえてしまった。
参加者全員から雨のような拍手を頂戴した。
「せっかくの拍手だから、このまま去らせてもらいます。ありがとうございました。」
驚きの声も聞こえたし、後になって全員で写真の一枚も撮れば良かったと後悔したが、再び全員から霙にも聞こえた拍手を受けながら深く一礼し、道場を去った。
わずか1時間後には、汗だくでぐちゃぐちゃのまま次の勤務校の校長室にいた。
またまた柔道部はないし、なくて良い。
「1年間はガマンしてもらえないか」…と言われた。
「であれば1年後には転出させてください」…言っちゃった。
そうでもしないと今日の感動のお返しができないからな。
2008-03-25
2008年
3月
25
火曜日
十年一昔にもう一年足した勤務を経て、いよいよ現職場を去ることとなった。
不思議なもので、そう決まってからは目に映る多くの生徒がやけに輝いて見えるようになった…気がした。
職場の和も素晴らしく、この温かさはそうそうあるものではない。
家庭や地域の応援もこれほどそうそうありはしない。
苦労や悩みも山ほどあったが、喜びはそれをいくつ重ねても追いつかぬ。
一体なにができただろう…とふり返るが、我ながら誉めても良かろう。
やり残したことはない。
むしろここ数年は十分遊べたと言えるほど余裕があった。
遊び心を、生徒の目線から発揮できたと自負してもいい。
だが、満足も慢心もしていない。
「絆」…これからも切らずにいたいと思うのは決して未練などではない。
離任式はあと数時間後だが、さらに任が解かれる数日間…
もう「ひとたくらみ」してやろか。
2008-03-16
2008年
3月
16
日曜日
「あんたがいなくなったら一体どうなるんだ?」
あくまでも仮定としつつも公立の学校に勤務している以上、いつかは去らねばならない。
校内の幾つかの要素に関わっている以上、それがあたりまえのものなら大して問題にはならない。
俺は非常に我が儘で自分勝手だ。
これは誰かがやると思えばあからさまに手を抜くし、これは誰もやらんと思えば気合いが入る。
「お前にしかできないことをやるな!」と、若手の頃親分に叱られたことがある。
極めて保守的な「学校という場」を職場に選んだのは失敗だったかと思ったこともある。
「へのかっぱ」…これを貫くしかない。
それまでなかった部活を作ったとき…曲者といっては失礼だが…確かにたくさん集まり色々な問題も起きた。
「あんたが来たおかげで迷惑だ」という空気すら感じた。
それが11年間で7回も代表の年になった。
11年前、最初に勤務校に来たとき、玄関で迎えてくれたのは雑草と枯れかけた松の木だった。
今は綺麗な花壇と手入れされた松の木、そしてトールペイントされた大木の丸太が客を迎える。
一声かけたら生徒が集まり、オヤジはダンプを動かし、良い土が入り、今は母親達が手を掛ける。
「別に学校にホームページなんてなくても…そんなヒマあったら他の…」という空気は感じた。
ようやくそんなガスは綺麗になくなったと思う。
別になくてもいいと思いつつ、試しにやるだけやってみた。
それも1行目になった。
で、1行目への回答。
「知らん」
冷たいのでも無責任でもない。
ではどうせよというのか?…ということだ。
いずれにおいても、ニーズあるいは価値を感じた者がいるならば、それを継承すればいい。
Webは、離れていても手伝うことはできるし、現に手伝ってもらっている。
Webはなぁ…。
いずれにせよ1行目ほどの賛辞はない。
「ありがとう」より嬉しくキツイ。
でも折角Webなんだから繋がろうよ。
(あくまでも仮定の話)
やがて、今では想像もつかないネットワークがこのエリアに構築できる。
Webはなぁ…。
ろくな返事も挨拶もできないままに俺の元から旅立たせたくはない。
「めんこがられる人」として俺の元を旅立たせたい。
あらゆる手段を使って様々なことをたたき込んだが上手くいかない。
最後の手段は、俺との絆を賭けることだった。
この数ヶ月、朝と帰りの挨拶はおろか、進路に必要な連絡と最低限の指導以外はコミュニケーションを絶った。
如何なる非難も覚悟の上だ。
そうすると教室掃除すらおろそかになる。
俺は、朝、学活中にバケツに水を汲み、雑巾でせっせと教室中の床を拭いた。
非道いモンだ。
誰も手伝うどころか、詫びを入れるどころか、静かになるどころか、ただワイワイと楽しそうにやっている。
とうとう家から掃除機を持ってきた。
頭に血が上るが、怒ったら負けだと思い、ひたすら辛抱と勝負した数ヶ月。
誰かがたった一人でも行動を起こせば済むのだがそれすら適わない数ヶ月。
いやーしんどかったぜ。
そしてついに卒業式前日を迎えた。
式の総練習…「(最後のチャンスだぞ)」…と心の中で語りかけた。
「!」
これまでとは打って変わり、今まで見たことのない光景が目に入る。
心もあれば気遣いもできる。
なのに常に「???」という思いばかりに悶々としていた。
実は「Too shy」…なだけだったのだ。
気づいても感じても照れくさかったり、自分が傷つくのを怖れて行動できないということに、俺ももう少し早く気づいてやれば良かったが、ギリギリで気づいて良かった。
実は、「Too shy」なのは俺だったのかも知れない。
卒業式はホントによくやってくれた。
最高の呼びかけに最高の返事で応えてくれた。
ある一つの、最後のイタズラを考えていた。
どうしようか迷ったが、決断したのは花道を退場する最中だ。
大勢が温かく退場を見守ってくれたあと、階段を上り、教室に入らず…「ダッシュ!上までいけ!」
まだ雪の残る屋上。
ツルツル滑って転ぶ、転ぶ…涙と笑顔と雪でベチャベチャの掟破りの記念撮影敢行。
「ばれたら始末書だからばれずに戻れ!」…あちこちベチャベチャにしてばれないわけもない。
残りわずかに30分…俺はそれを最後の通信に貼り込み、プリンタを動かした。
息を切らしながら、すでに保護者が大勢の教室に戻り、延々とこれまでの思いをぶちあげた。
「実は…」と生徒も思いを綴ってくれた。
こうなってくるとただじゃ済ませられん。
じゃあオプションのイタズラを…「玄関ダッシュ!」
せっかく職員が見送ってくれていたが、最後のトドメは玄関での記念撮影。
ある子の頭をなでたら、まるで赤ん坊のように泣き出した。
ここのところ、特に彼女はなんとかしたいと感じているのはわかっていた。
でも行動できないもどかしさを感じていたのもわかっていた。
「将来立派な獣医になれよ。そんときゃ俺の友人を紹介してやる」
また号泣。
その後も…いやー何人にも泣かれた泣かれた。
じゃあホントに最後の…
旅立ちのヒトコマをどうぞ。
そのあと、頼んでもいないのに、弟子達が
たった6人で会場の片付けをやっちまった…。
「やってらんねぇ!」と思うことも多々あれど、これだから教育はやめられん。
醍醐味だな。
さてと…もう一泣かせしてやろか。
2008-03-11
2008年
3月
11
火曜日
授業時数確保のため、どこの学校も四苦八苦している。
勤務校も例外ではなく、子供らの楽しみである様々な行事の存続にむけて議論される。
(議論になるだけ良心的かもしれない)
今日は送別集会があった。
これもすでに廃止になった学校が多いらしい。
もったいない。
あらゆる手を使ってかき集めた古紙を使い、校内のあらゆる手でもって作られる壁画は、今年の出来も素晴らしく、幕が開くなり3年生から大歓声と大きな拍手が起こった。
D70で撮りだめた写真は、数千枚の内から数百枚がチョイスされ、心温まるアナウンスとBGMによって大きく映し出された。
俺が海から釣ってきたサカナを仲間が上手に料理してくれた。
爆笑と感嘆、静寂が交互に巻き起こる。
そして下級生の合唱によって完全にノックアウトされた卒業生は、さらにさまざまな温かいもてなしによってトドメを打たれ、号泣する子も多数。
それを俺はD300で撃ちまくり、
早速アップした。
教職員も生徒達も保護者達も幸福だと思う。
文字通りの「自画自賛」といわれても構わない。
それにしても真っ暗に近い体育館なのに、フラッシュなしでもガンガンいけるD300はすごい。
ちなみにD70は同僚に譲った。
どうかこれからも自画自賛できる学校でありますようにと願う。
2008-03-08
2008年
3月
08
土曜日
とある理由でエンジンが交換される運びとなった。
「景気の良いときはアセンブリー交換できたのでしょうが、補記類はそのまま使わせていただきます。申し訳ございません。」とサービスは語るが、いえいえそんな…って心境だ。
このロータリーエンジンの組み立ては、選ばれし熟練工により手作業で行われている。
クルマ好きとしてはそれだけでも嬉しい話しなのに、少々の不具合にも手厚く対応してくれるMAZDA。
代車は、レンターカーの新型デミオだ。
わずか1300ccなのにこれが随分といい。
発進はさすがに一瞬もたつくが、アクセルを踏み込むと軽快に回転が上昇する。
コンパクトカーとはいえ足周りも良く、雪融けが進み、ラフロードと化した札幌の路地裏でも確実に踏ん張る。
ウソのように、これは楽しいクルマだ。
軽量スポーツといってもいい。
ちなみに今日は、火災事故の側をたまたま通りかかった。
靄がかかっているのはそのケムリだ。
2008-03-05
2008年
3月
05
水曜日
珍しく早めの帰宅が適い、道産子ワイドを見てた。
すると、今日はダルが投げるらしい、オープン戦の様子が映った。
で、折角だから行ったさ。
D300もまだまだ使いこなせないからちょうどいい。
ダルは様子見かな?
結局中田からの快音は届かないが、一挙一動への観衆のざわめきだけでも十分にファンだった。
ハムからスワローズへ移籍したばかりの川嶋と押本が出てくると、道民は温かい拍手を贈ったのは印象的。
「次でもがんばれよー!」って。
うむ。
色々思うところ重なり。
しかしまだ明かせず。
だが、俺のshow timeは…
2008-03-04
2008年
3月
04
火曜日
書店でなにげに…ではなく、何気なく手に取ったこの雑誌。
パラパラとページをめくりレジに行った。
ゴシップはあまり好きではないので週刊誌を買うことはあまりないが、このシリーズは昔からわりと好きだ。
「注国の今」が綴られている。
最初は「え!まじ!」と思いながら眺めてたが、そのうちコミックを読むような気分になった。
「あまりにも荒唐無稽」
モスクワとは違う意味(重なる部分もあるが)で、「参加しない」という選択肢も議論すべきと思う。
議論の後に参加するのは良いが、もしもなにかあった際は大変だ。
康生は、無理して行かなくてもいい。
後生に継がれるレジェンドは十分だ。
厚生のままならぬ…国。
鋼製のマンホールすらが盗まれ、穴ぼこに人が落ちる。
公正なメンタリティーはあるのか?
なにも雑誌のすべてを鵜呑みにするわけじゃないが、
校正は国内だから少しは信頼できるべか?。
…というか、実情はかなりアツいらしい。
2008-03-01
2008年
3月
01
土曜日
勤務校の除雪に関わる予算がとうとうこの連日の大雪で底をついたそうな。
そこで、
自動車通勤者から除雪費を徴収するということになった。
これはウチに限ったことではないらしい。
金額は微々たるものだが、話の筋としてはおかしいと思う。
おかしいとは思ったが、まあいいやとやりすごした。
なぜならば、最近は諦めるクセがついたから。
ところで、家庭訪問や、まれにケガや病気、あるいは行事で帰宅が遅くなった子を家まで送るのに一円も頂いたことはない。
車を使うのは個人の勝手ということで構わないのだが、都合のよいように解釈されると釈然といかない。
公共施設の除雪費だ。
今国会で法案が無理矢理通ったのならガソリン税から回せるようにしろ。