標記について
北海道中学柔道専門委員会ホームページに掲載しました。
なお、日程や場所については変更になる場合があります。
昭和63年…最初の赴任校では、新任の身で同好会を立ち上げてスタートし、9年間勤めた。
平成9年…
次の赴任校では新入生歓迎会のステージに一人立ち、柔道部を立ち上げ、11年間勤めた。
その間、30~50名の部員を常に抱え、数々の大会でも成績を残し、その傍ら全市的な運営や全道、全国大会のプロデュースもあり、「もしかしたら死ぬかも知れない」と感じたのは大げさではないほど過酷であったことも確かにあった。
しかしそれは生き甲斐であり、職業人としてのやりがいである。
11年間勤め、いよいよ異動となったが、誠に無念ながら「これらのこと」は全く考慮されていない。
今に至るこの4年間は、胸板にどでかい穴が空いたようなもんだ。
たまたま縁あって出会ったかつての部員達は、今や「国の安全」に就く者が比較的多い。介護や看護の道を歩む者もいるし、会社の重責を担う者もいる。プロの格闘家を目指したものもいれば、日々大きな車体を操る者もいる。多くは父や母になり、立派にやっていると聞く。
柔道に出会ったおかげと語り、薄野の女王になる予定が立派に大学生活を送り、俺の誕生日には欠かさず電話をくれる…
なんも柔道だけがよいなどといわないが、たまたま俺にはパソコンや丸のこ盤以上に重宝な道具なだけだ。
中体連という組織を動かす立場ではあるが、そいつが本丸たる部を持たぬ。
4年までは我慢したが、5年とならばどうしよう。
「北海道柔道センター構想」…理想は「北海道武道館」だが、なんぼ小さくともボロでもいい。
飛車格落ちの将棋…5年は長すぎる。
飛車も角もない中では次の手を打ちようがない。
(ならばと、禁じ手が頭をよぎる昨今)