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2005-08-31
2005年
8月
31
水曜日
30代最後の一日。
めずらしく生徒指導であわただしい。
球技大会は…ビリ(でも、よくがんばったね!…と、がっこのせんせらしく)…まあ、それはいい。
パソコンの電源を入れたら、プロペラ飛行機が飛んでいるようなやばいサウンド。
OSが立ち上がってそのまんまフリーズ。
再起動したら真っ暗画面でセーフモードすら起きない。
しばし放ってあるが、改善の兆し無し。
かみさんのパソコン借りて仕事中。
つまり、これも仕事中(?)。
「どうしてのぞくと隠すの?」
いや…別に…なーんにもやましくはないんだが…。
そういえば足の付け根がずきりとうずく。
最近口の中が荒れ気味だ。
家の前の空き地にとうとう家が建つのも気に入らない。
あーらら、ふと時計を見れば不惑の年だ。
さぁーてぇ…どうしようかと早速惑う。
とりあえず寝ちまおっと。
2005-08-29
2005年
8月
29
月曜日
休日出勤後のzzr0831号での散歩、いつもの滝野霊園コース。
もうちょい走りたくて、オヤジの墓にはささっと水ひっかけて、そそくさサイナラした。
帰り道、気分良くライディングしていたら、目の前の空気が突然変わり、「壁」となる。
反射的なブレーキングも間に合わず、「何かにぶつかったかのような衝撃」は大袈裟でない。
アスファルト上にも「ここまで天国、ここから地獄」みたいにくっきりラインがあった。
やはりバイクは半袖で乗るべきではない。
大粒の雨が痛いこと痛いこと痛いこと痛いこ…。
(しかし、なんだか面白いのでUターンして引き返す。)
…ああ、そうかい。きちんと墓参りしねぇと地獄に行かすぞとでも言いたかったのかな?父上様。
2005-08-28
2005年
8月
28
日曜日
名古屋全中から、台風に追われながらの25日21時の帰着。
26日夜は、部活の懇親会。
校区のアサヒビール園で、生徒、保護者約50名がジンギスカンをつついた。この1年間の生徒の成長は、保護者の笑みを誘う。
ひとえに部活というが、色々中々大変だ。その大変は、保護者というサポーターがいてくれるからこそ払拭される。
大人だけの2次会からは1時半の帰宅。
頑張って今朝10時からの稽古に向かう。
お茶を買いに寄ったコンビニで、ばったり女子部員に会う。「朝3時から3人で起きていた。」てっきり四方山話の夜更かしだと思った。
道場には、他校の生徒が親にせがみ、今日も2名来ていた。
そういえば「明日の練習は早めに切り上げて。」と、夕べ親に言われていた。
思い出してそうしたら、ちょうど保護者達が来た。
なんか持っている。
みんな車座になり、「ハッピーバースディ!」ってか!。
俺がかなり正確にデフォルメされた「バースディケーキ」の似顔絵に、かなりの感動と少々の戸惑いを覚えながらロウソクを消す。
「!(そうだったんだ)」…道場の畳に並ぶ名古屋の土産とケーキは、余りにも甘いモンだらけだったが、夕べのビール以上に酔う。
しゃーない、不惑の年を間もなく迎えますが、頑張ります。
2005-08-26
2005年
8月
26
金曜日
俺と一杯飲んだがために「柔道部やります!」と、柔道未経験のぶんざいでほざいた。
ややしばらくして、「柔道部作らせろと言ったらはじかれました。」と、時間講師のぶんざいでほざいた。
厚沢部全道大会の夜は、居酒屋で「こいつ自腹で来たぞ。」と紹介したら、札幌中体連の仲間は次々と財布から札を出し、重ねていった。
ヤツは拒んだが、「出世返しでいい。」と束を渡した。
お盆をはさんで、どこかの浜で昆布干しのバイトをやったらしい。
飛行機と宿代を稼いで名古屋全中柔道大会に現れた。
部活はないが、自校の生徒の応援だ。鞄持ちでもなんでもやる。
「全中個人70kg級決勝進出!」…惜しくも敗れたが堂々の準優勝。
「「採用1次試験どうだった?」」「通知を見るヒマもなくこっちに来ました。」
台風11号の影響でどうなるかと思われたが、我々は同じ飛行機でセントレア空港を発った。
帰宅後、携帯で「2次試験」へのハッパをかけるに至る!。
これを知れば山下先生もエールをくれることだろう。
2005-08-20
2005年
8月
20
土曜日
すごいものを見せつけられた。
「ラッキー」とか「ついている」なんて言葉で片づけられては余りにも失礼だ。
「如何なるピンチにも、心動ぜずに切り抜ける。」
一体どのような指導を進めてきたのか、もしもどこかで香川先生とお話しできれば聞いてみたい。
明日名古屋に向かう途中で、もしも空港ですれ違えたならば、ちょこっとでも香川氏の肩にでもタッチして、「ラッキー」をわけてもらいたいもんだ(おっと失礼…)。
名古屋レインボーホールでも、肩書きだけの代表監督とはいえ、北海道勢の粘りを見せたいものだ。
2005-08-19
2005年
8月
19
金曜日
「zzr0831号」…今や「通勤快速」の代名詞。
両サイドについているパニアケースも、洗濯が必要になった柔道着を運ぶ入れ物。
「ツーリングに行きてぇ!」…想い果たせず、結局今年もというか、フォトアルバムをたどると、98年に奥尻島に行ったのが最後。
'98…まだまだ南西沖地震の傷跡が生々しかった。
しかも、宿の予約ナシの上陸だった。
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2005-08-18
2005年
8月
18
木曜日
「ヤマシタヤスヒロ」
世界の「頂点」。
少年時代の「憧れ」。
真の「柔道家かつ教育者」。
「模範」…我が身にはあまりに遠すぎて「師範」とは呼べない。
全中札幌では、柔道ルネッサンスアピール宣言にあたり、開会式に臨む選手を座らせ、わざわざステージから降壇し、
自らマイクを持ち、後世に語り継がれる感動的なスピーチを頂いた。
<草野球ならぬ、干し草柔道しか知らぬ我が身にとってはこの上ない役得。しかりと「挑戦」の二文字を4枚の色紙に頂戴した。>
今日、名古屋全中の宿舎通知が届く(万博での混雑で、手配がパニックと聞いている)。
ところが、「あれ?大会本部のホテルだべや…」
夜になって、海馬の詰まり氏よりメールが届く。
「…進歩時有無…いや、シンポジウム?…参加?」
「世界のヤマシタ」を交えてパネルディスカッションするということらしい。
いやいや参った。
ホントやばい。
でも折角だ。
世界の「底辺」代表として語ろうかと思う次第。
2005-08-17
2005年
8月
17
水曜日
この1週間というもの、給食代わりにスープカレー三昧である。
なにせ
マジスパが勤務先から徒歩3分であるからしかたない。
今週も4回目、今日も無茶苦茶混んでたが、顔パスですんなり通してもらえちゃった。
お決まりは、「虚空50」にマジックマッシュ(生食できるタモギタケ)のトッピングである。メイン具材は気まぐれだ。
それにしても道外ナンバーが多い。その陰に、マスターのガヤルドが鎮座している。
昼がマジスパなのに、カミさん両親のリクエストで夕食もスープカレーだった日があった。
国道12号を通過中に「
らっきょ
大サーカス」を偶然見つけた。7月にオープンしたばかりだそうだ。らっきょのマスターが井出さんだから、きっとここの店長が安田なのだろうと思ったら、それは違った。
店のコンセプトらしいが、なぜサーカスなのかはわからなかった(店員はピエロの格好で、玉乗りしながらメニューを運ぶと良い)。
久々に「
棗や」にも行ってしまった(樺沢氏のサイトより)。
さすがにもう、カレーなんて見るのもイヤだ。
…でも、明日はどうしよう。
2005-08-15
2005年
8月
15
月曜日
21日から名古屋全中へ。
盆休み返上での部活動。
稽古に来る部員も普段より少ない。それでも入れ替わり立ち替わり来るのだからえらい。
「墓参り行ってましたor行ってきます。」
「「どこ?」」
非常に多くの家が
真駒内滝野霊園である。
zzr0831号の画像、モアイ像がずらりと並ぶ、これがそこであり、我が父が眠る。
墓場というよりも公園といった方がふさわしい、風光明媚な場所だ。
いずれは近所づきあい…?。
テレビで「家庭教師のト○イ」のCMを見て、ふと思い出す。
約20年前、週二回、26,000円の家教のバイト。
さすがにメールなんぞあるはずもなかったが、行き当たりばったりの授業ではあった。
その上、メシをご馳走になった。
しかも、酒もご馳走になった。
なんと、アイスまで頂いた。
それから授業($&~*+??)みたいなことをした。
「一体俺は何しに来ているのだろう?」…とは、思った。
「これは、もしやサギではないか?」…と、一応は己を疑った。
二条市場の、魚屋のバイトを終えて直行、「特長(いわゆる膝まである長靴)」のまま玄関をくぐったこともある。
その時は、白玉入りのお汁粉をごちそうになっちゃった。
「家庭教師のト○イでは不採用です。」…CMでいかがか。
2005-08-12
2005年
8月
12
金曜日
P504iが丸3年経った。無造作にカバンにつっこむから、あちこち塗装がはげ、「使いこなされた道具」の風情が漂ってきた。
カメラもおサイフも別にあるから、おかげで厚さは15mmだ。着メロはどうせYMOだから、歌もいらない。
ボタンひとつで「ぱくっ」と開くのも気に入っている。
しかし、困ったことに、バッテリーが上がりやすくなった。
バッテリーを買いに電気屋に行ったら、ドコモショップに行けと言う。
ドコモショップに行ったら、待たされたあげく、取り寄せだという。
短気を起こして某Voショップに行き、「カメラなしの、薄くてぱくっと開くのないですか?」と、ないに決まってるクセに一応聞いた。
「これ、テレビ見れますよ!。」…会話すら噛み合わない。
そういえば、ゴムのフタがとっくに切れてなくなっている。ずっとそのままだ。
汚れた端子を拭いてみたら、なんのことはない。
バッテリーを改め見れば、ニッカドじゃなく、リチウムイオンだ。
「メモリ効果」のなんたるかくらい…俺のメモリが減ってたか。
2005-08-11
2005年
8月
11
木曜日
世の中にどんな仕事があって…諸々学ぶ。
良い機会だ。今の生徒がうらやましい。
ぎっしり詰まった名刺帳を眺めながら、受け入れ先開拓に電話をかけまくる。
「お前の頼みなら。」…高校時代の仲間、全中で関わった方々、柔道関係、かつての教え子…と、その辺の恵まれをひしひしと感じる。
「人としての生き方を学ぶ機会が総合学習」であるならば、この辺をしっかりと生徒に伝えなければと思う。
2005-08-09
2005年
8月
09
火曜日
千歳航空ショーは、バイクで行くべきだ。結局会場にはたどり着けなかった。
十勝川温泉の「
三余庵」にて、世界でドイツとここだけのモール温泉に浸かり、俺も妻も美人になる。
しかし、北海道各地が誇る食材がなまら手の込んだ料理となって並び、美人は太る。
生まれてこの方、ここ以上の美味いモンに会ったことはない。
年に一度、ここへ行くためにせっせと働く。
RX-8を駆り、糠平湖へ向かう。
今年の北海道遺産は、昨年よりも長い美脚を披露してくれた。
道すがら、グッタリしたミゼットやテントウムシを屈足(くったり)の道ばたに見る。
十勝平野はどこをとっても絵になり、ついつい立ち止まる。
三余庵で紹介された「
十勝千年の森」は、有休が悠久であってくれればと思わせる。
「鉄道員(ぽっぽや)」で、寅さんと健さんのツーショットが見たかったな…と、幾寅にて。
2005-08-06
2005年
8月
06
土曜日
昨晩の、TBSテレビ特番「
ヒロシマ」を見た。
原爆開発者と被爆者のやりとりが最後にあった。
「お前の方が強く殴った(原爆)べ!。あやまれ!」
「なにいってんだ!先に殴った(真珠湾)のはお前だべや。」
非常かつ非情に無念ながら、中立的かつ極めて客観的に見ればこう映る。子供のケンカのメンタリティーと大差ない。
5年前に初めてヒロシマを訪れ、夜中に繁華街から原爆ドームまで歩いたことがある。
町の喧噪を離れるにつれ、徐々に闇に浮かぶドーム。
それが、物理的な存在から瞬時に消え去った方々の髑髏にも映り、酔いも覚めた記憶がある。
「こら!そったらことしたらなまら大怪我するぞぉ!やめれや!」という「地球的大人」の存在…スペースシャトルからは見えないか…。
2005-08-05
2005年
8月
05
金曜日
初のインハイ観戦だったが、ついつい運営に目が行きがちだ。残念ながら北海道勢は不振だが(明日はどうか)、改めて歴代入賞記録を見るとなかなかどうして、大したものだ。
それにしても暑かった。不忍池から上がった犬のように、汗でグチャグチャになって上野を歩いていた。
古い友人のお陰で、初めて銀座で飲んだが、グチャグチャでユニクロなヤツは他には見あたらなかった。
寅さんこと、渥美清の命日とは知らず、柴又にも立ち寄った。
「結局お前は何しに行ったんだ?」と言われそうだが、「それをいっちゃあおしめぇよ。」
2005-08-02
2005年
8月
02
火曜日
明日より千葉へ、かつての教え子の応援だ。ついでに、向こうで活躍中の、担任だった教え子とも会ってくる。
そういえば昨日、現役生徒から「先生はたくさんの卒業生と関わっているけど、みんな覚えているの?」と聞かれた。
A1)顔は改造、あるいは大きな変化がなければほとんど忘れない。
A2)名前は経年記憶劣化する(ふだんでさえ怪しい…)。
A3)印象的な出来事(良くも悪くも…)が記号になっている場合が多い。
A4)年賀状やメールが続いていればOK。
最近一番怖れているのは、
道ばたで突然「こんにちは!」である。
「お、おお、ひ、さしぶ、り。」となる。「おまえも**才だよなぁ。」なんて適当につなげながら、必死に記憶をたどる。
素直に「おまえだれだっけ?」と聞けば良いのだが、「なーんだ、忘れられたのかぁ…。」と言われた後の心の
モヤモヤがイヤなのだ。
そんなわけで卒業生のみなさん、どこかでお会いした時はまず名乗りましょう。お願いですから記憶をたどる時間を下さい!。
…しゃべっているウチに最初の本題と離れることが増えた昨今。
2005-08-01
2005年
8月
01
月曜日
全道中体連柔道から帰ってきた。
悲喜こもごもの様子は別に語るとし、大雨の中ようやく到着して口にした昼飯にやや感動。
この、贅沢ウニラーメンが650円とは!
宿泊した江差では、磯の香りがプンプンした天然アワビ、朝取りの透明なイカとも出会えたが、なにしろ妄想が膨らみすぎていたため、ちょっとがっかり。
しかし、名古屋全中への切符にニンマリ。