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2007-06-15

2007年 6月 15 金曜日

雑食

俺を実際に知るものはみんな知っているが、かなりの「雑食家」だ。
どうせこの世に生まれたからには、世界中の美味いモンも不味いモンもすべて喰ってみたい。
(一番興味があり、勇気もいるは猿の脳みそだ)

それだけに別の意味の雑食…雑な喰い方というのが目や鼻についてならない。

「あとでコンビニの唐揚げを2つ食べよう」と、給食にほとんど手をつけない子が言う。
大人の飲み会でも、せっかくの料理にほとんど手をつけることなく話しに夢中になって終わる。

大人も子供も食に対して雑なのがどうにもこうにもガマンならない。

せっかく手塩にかけて育てられて、殺されて、バラされたブタちゃんやトリちゃんが、結局大勢ゴミになる。
蒸し暑い、100mものビニルハウスで育てられ、腰が痛くなるほど丁寧に雑草を抜き、汗だくになって収穫されたアスパラ

も、実際に人々の栄養となるのはなんメートル分なんだろう。
(6/3美唄にて)

喰ったら太るからと、無意味に喰うのを減らす。
三度のメシを抜いているクセに間食をする。
残食はゴミとなり、生ゴミを消却するためにはさらに余分なエネルギーを消費する。
喰えない国の民がいるのに、他方ではわざわざ道具やクスリを使って脂肪を燃やそうとする。

人々の味覚も崩壊してはいないか。
忙しいを口実に、手を掛けた料理は食卓に並びづらいとし、一口目のインパクトを強めた出来合い料理が、溺愛の家庭の味と錯覚されている。
その味覚を植え付けられた子は、工場で作られた味気ない野菜は辛うじて食えても、畑で取れた虫食いの新鮮な野菜は「キモイ」し、本来の風味も「クサイ」となり、ヤサイ本来の持ち味を敬遠する。

「平気に残すな」と、俺は口うるさく、よくいう。
残すからには「心で謝れ」ともいう。
飲み会で食い物が残れば、俺はついつい平らげようとしてしまうし、それでもだめなら容器に入れて配るか、持って帰る。
給食がたくさん残ればイヤな顔になり、戻ったものをさらに喰える者に還元してでもなんとか残食を減らしたい。
たとえ親からクレームがつこうとも構わない。

食生活の様子は、彼、彼女の人間性を表現するし、人としての経験は、味覚に発展するといえる。
子供は甘い経験から甘いもの好きだし、大人になるにつれ辛苦な経験をつみ、辛いとか苦いの味が美味しいと感じられるようになるのだろう。。
食べ物の好き嫌いが多い人間は、対人関係や物事への好き嫌いも少なくはなかろう。
(アレルギーは別とし…)

食事には、忙しくても可能な限り手を掛け心を込め、少しでもマシな味覚を育てて、そうして広い人間性を養うべきだ。

教育の根っこは食育ですよ、しんちゃん。
posted on 2007-06-15 カテゴリ: 日記 - 0 個のコメント - 0 個のトラックバック