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2009-01-29
2009年
1月
29
木曜日
同じ職種の中に高校同窓会があるなんて知らなかった。
たまたま正月に、高校同期の仲間と呑んで、「同期のがっこのせんせどんくらいいるんだ?」ってあったその直後、
たまたま初めて会の案内が来たんで、何気なく出席した。
経験的に、「
たまたま」ってのは俺の中でかなり重要な意義を持つってのがわかってきたし。
かなり気軽に行ったが、趣は予想とちょっと違う。
ある意味一つのゲートみたいなもんか。
結局はたまたま居合わせた、いつものBurn -Show氏と軽く二次会。
(カクテルもたまにはいいね…ありがと、今日は先輩(!?))
高校同期の一番の面白味は今や異業種交流。
(これは相当のエネル源)
しかし、母校の卒業生はこの世界でも異彩を放つ方々が多いのも事実。
たかだか高校3年間だが、人生のキャラ作りには影響大なんかな。
これもまた現場でフィードバックのネタになろう。
(まあ、それを見込んで参加したんだが)
2009-01-27
2009年
1月
27
火曜日
きたえーるにちょっと寄ってきた。
会場に着くなり、かつての自校、他校の元中学生がわさっと寄ってきた。

ふむふむ、あーだこーだ…うんうん…なんだかんだで柔道を続けるor関わることでenjoyしている様子。
全道大会だから地区を勝ち上がって来たわけだが、こうして何人も何人も顔を合わせられるというのは嬉しいものだ。
近況報告、進路報告、うわさ話(?)…試合観戦どころではないがいいものだ。
こうしてみると、前任校にはホント大勢の生徒達や大人達が来たんだなぁと実感する。
「メッカでしたね」と評されることもある。
メッカは大げさでも、センターは必要だ。
札幌・中学・柔道がリングドーナツにならないようにせねば。
それどころか、何層にも重なったパイ生地にせねば。
かつて一緒に汗した親子、
その娘さんがいよいよ国際舞台に向かう。
嬉しいことに親爺は「その前に是非かつてのように一度…」と。
穴あきでないドーナツをあらためて創ることを考えている。
センターを作る方法は…?
2009-01-26
2009年
1月
26
月曜日
バイク仲間だったウェールズ人(イギリス人と呼ばれたくないらしかった)は、本国ではEXAP(YAMAHA FZR1000)を駆り、こっちに来てからは俺の真似(!?)をしてZZR1100を買った。その後YAMAHA R1に乗り換えたが、独自のライディング理論を展開し、雑誌に論文を投稿したとか言ってた。
ヤツに「ハーレーはどうよ?」と聞くと、
「いいけどその次は車いすだね」とのたもうた…解釈はしないが、10年以上前だから許してね。
(世界の荒鷲乗りの皆さん)
もっともっと昔、ZZR1100c1時代だから1992、3年か、ツーリング中に岐阜から来たハーレー乗りと仲良くなった。
根室の安宿に何人かで泊まり、炉端焼きで肴をつつき、ずいぶん呑んだ。
自動車のパーツ工場の経営者でもある彼は、タンクにちょっと不細工な金髪美女(失礼)をあしらった黄色いハーレーを愛でながらこういった。
「イージーライダーを観て、18才でアメリカに渡ったのさ。皿洗いのバイトから始めて、ようやくこれを買った。帰国するときも手放せなくて、18年乗っている」
しかも、
「昨日ガキが生まれたんだ。でもなかなか北海道を走る機会がなくてねぇ…」
Kawasakiの水冷四気筒に対比しても実に不整脈な排気音。
(これが実にいい…どですかでん)
エンジンの下に大工が道具を入れるような布袋。
そこに工具を積んでいた。
(粋に映った)
今のハーレーは…?
アクセス札幌で開かれた
アメリカンワールドフェスタin札幌にちょいと寄った。
ちょいとBuel(ビューエル)のエンジンをかけさせてもらったが、「どですかでん…」というイメージはなかった。
(それでも十分ワイルドだ)
造りのクオリティもずいぶんあがり…
(だからなんからしくない印象)
会場を見渡すと、なにやら見覚えのある顔。
後輩が飲食ブースをやっていた。
彼はKawasaki Zepher1100を、我がZZR0831号と同じ1993年より駆るという。
(地下鉄ススキノ駅直近ですので使ってやって下さい)
なにはさておき、ハーレーもいいなぁ。
(古いヤツね)
2009-01-23
2009年
1月
23
金曜日
札幌の真冬なのに雨が降り、虹が出た。

最高気温は5度だった。
数日前にずいぶんと苦労して除雪したが、こうとわかっていればそんなに頑張らなかったものを。
(…と、みーんな思ったべ)
シバレナイ冬…まあ、このあとドカ雪が降って帳尻は合うのだろうが。
ここ数年のこの時期、同じように綴っているな、たぶん。
[Z] kimoi
シバレル(超寒い)と思えば文句言い、温い(ぬくい)と思えば心配になる。
(北国はびみょぅだね)
北海道の米がうまくなったと評判だ。
本来温暖な気候を好む水稲が北海道を好きになってきたのかな。
ただ、札幌雪祭りが、今年は本当に大丈夫なのか心配だ。
なにせへたれ気味の冬将軍、あまり頑張って欲しくはないが、元気がないと不安だ。
(道産米喰ってそこそこがんばれや)
2009-01-22
2009年
1月
22
木曜日
北海道にも、北の都札幌市にも武道館がない。
立派な総合体育施設はあるが、武道館はない。
次の学習指導要領で武道は必修となるが、シンボルとなるべき武道館がこの地にはない。
例えば、昨年合宿で訪れた青森県立武道館は、宿泊施設も充実していて吃驚した。
[Z] 東北4日間
中学生の大会運営、とりわけ中体連関連はなかなか大変だ。
小学生ほど子供でないし、高校生ほど大人でない数百名の導線を設計するというのは、これは外部からは理解しがたい神経を遣う。
札幌市では、少子化による競技人口減少という名目で、これまで平日に行われていた地区大会を廃止し、土日に一発全市大会開催という運びになった。
昨年は、3週間にわたる大会開催という苦渋の選択を余儀なくされ、有力選手ほどコンディション維持に苦しんだことだろう。
今年はさらにヤバイ。
7月に土日連日で確保できるような公共施設が今のところ見あたらない。
なにしろ柔道は畳を運ばなければならない。
期末懇談や評定作業などで錯綜する学期末に動員して会場を作る。
挙げていけばきりがない困難が山積してきた。
(だから平日にしてって言ったのに)
ホントに武道は大切と思われているか?
2009-01-20
2009年
1月
20
火曜日
10年以上前
初めて冬の北海道に来た友人達が感涙絶叫。
「広がる銀世界…白い大地」
「夢に見たパウダースノー」
「サンピラー、ダイヤモンドダスト…」
「シバレル」
嗚呼、冬の北海道!
…ありません。
確かに今日は大雪だ。
しかしそれは降り積もりつつ融け出し、食いかけのかき氷みたくなり、FRのハチの足下に絡みつく。
真冬の北海道のジャクジャクした雪…適当な季語が見あたらない。
温雪(ぬくゆき)? 重雪(おもゆき)? …先雪不安
大きめの重い雪を花にたとえジェロが歌う。
「まるでー梅ーゆーきー」
(ちと苦しいか…)
2009-01-18
2009年
1月
18
日曜日
従兄弟の結婚式だ。

実はJRタワービル最上階も初めてだ。
遠戚にあたる大崎さんも同じNIKON D300を持ってきた。
新得町で鉄道博物館を運営し、プロの写真家でもある。
映画「鉄道員(ぽっぽや)」で使われた多くの鉄道関係道具は氏の持ち物である。
「いくつくらい貸したんですか?」
「80品かな」…だそう。
新婦である従兄弟は旭川に勤めているが、同僚に柔道の後輩がいる。
つい何年か前までは学生で、合宿を共にした。
これもまた縁だな。
新郎はとてもいいやつで、今は学校現場を離れて道内のとある青少年の家に勤務している。
俺は
教員免許更新該当者なので、近々世話になるかも知れん。
料理が大変美味しく、299枚ほど写真を撮りつつも美味しく頂いた。
ところが、皿を平らげても周りから集まってくる…
ちょいと昔ならばプライドにかけて全部喰ったろうが、さすがにこの年になれば考える。
タッパーを持参すべきだった…なんともかんともMottainai。
ところでU子よ、お前はなんとかならんのか?
お兄ちゃんはなんでもするぞ!
2009-01-16
2009年
1月
16
金曜日
幼稚園から大学(一部)まで、公立に私立、日本人学校と、35524以上の学校がホームページを開いている。
そのアクセスの様子は様々なバロメータにもなる。
入試シーズンを迎える今時期は高校へのアクセスが多い。
また、なにかしら活躍すれば一時的にヒット数が増えるようだ。
幼稚園は、親が若いということもあるかも知れないし、やはり幼子の姿は可愛らしく、人気が高い。
特に大坂の
千里敬愛幼稚園の子供のつぶやきは、思わず吹き出すどころか、下手なお笑い番組以上に面白くて楽しく、つくづく、ヒトの子供の天才ぶりに驚く。
比較的中学校は、その絶対数もあるのか、ランキング上位に上がる数は多くない。
だが、せっかく更新しているのであれば、数字が上がるというのは楽しみでもあるし励みでもある。
別に、それによって小遣いが増えるとか、勤務評価が上がるということは全くないが、多少なりとも手間と時間を割いているのだから、それなりの手応えがないと張り合いがない。
何より期待するのは「注目効果」だ。
生徒や教師、地域の意識が、良い意味で変化していくことを期待するし、確信する。
これからが面白い。
2009-01-15
2009年
1月
15
木曜日
最近は、ちょっとした画像編集はピカサを使う。
とくにweb上に掲載する画像の場合はほとんどがピカサだ。
なんでかというと楽だからだ。
大概の場合は、コントラストをちょこっといじったり、トリミングしたりする程度だし。
ときどきグロー(紗)をかけてみたりもする。
デジイチで撮った画像を一括してリサイズ(320)できるのがなにより有り難い。
今日、Picasa3になったのに気づいた。
3学期始業式 (みなちゅうかわら版)
テキストを被せることができるようになったのは大きいかも。
さすがにRaw.には対応していないが、本気の時はまた別のを使えばいい。
学校のパソコンは勝手にインストールすることができないので、その都度インストールするとしても、手間がかからないのもいい。
2009-01-12
2009年
1月
12
月曜日
11日の14:00は
茜さんのドキュメンタリー、そして一方で
MAYUMIのwリーグ皇后杯の決勝が同時刻放映だった。
(結局どちらも観られずじまいだったが、これから録画を観る)
二人の直接の接点はわからないが、何らかのカタチでお互いにエールを贈られるとよいなぁ。
(同じ時代に同じ校舎にいたことは確かだし)
それにしてもここ2,3日は、
芦別市に行ったり
コンクールに行ったりと、少しバタバタしてみた。
バレーボールの組織的な強化、吹奏楽の小学~一般に渡る運営…プログラムのあり方において大いに刺激になった。
(東奔西走…我ながら野次馬根性を発揮しているが、ハチはよく走る馬)
高瀬先生から電話があった。
「
オランウータンの誕生日祝いにくす玉を作りたいので…」
(面白いので、その話乗った!)
なにはともあれ、色々と茜さんと高瀬先生のエネルギーになればいいなぁ…。
2009-01-10
2009年
1月
10
土曜日
1/11 14:00~テレ朝
ママは生きる!がん余命宣告6か月~1歳7か月息子&母の闘病全記録~
教え子だった茜さんの闘病を綴るドキュメンタリーです。
なにかできることはないかと思いつつ、こんなカタチでしか応援できませんが、とにかくがんばって!
鎌田茜のブログ
2009-01-08
2009年
1月
08
木曜日
2009-01-06
2009年
1月
06
火曜日
時間通りに行ったのに、さっさと部活が始まっていた。
(相対的に遅刻じゃねぇか…)
遅くにくる部員を戒めたことは数限りなくあるが、なんつっても、10時なのに8:30とかに来るんだもんな…まあいい。
部員以外にも、小学生、中学生、高校生が参加してくれた。
本当は来たかったろう、小学生のJ君、焦らずに怪我を治しなさい。
なんつたって、あんたの人生はなまら長いんだから。
なんつったって小学生なんだし。
俺なんて、中~高~大の脱臼癖に泣かされ、とうとう不完全燃焼のまま今に至る。
怪我は憑き物だが、しちまったときに直すがよい。
若いうちは直りも早いし、それだけに若いうちの怪我はなんぼでもペイできる。
それにしても、畳を敷いてからさえまだ8ヶ月。
千客万来とまではいわずも、たかだか中学校の部活に多数のお客様が来てくださるなんてなぁ…。
(今度はのんびりやろうなんて甘かった)
なんにもお構いできませんが、よければどうぞ。
年明け (みなちゅうかわら版)
2009-01-04
2009年
1月
04
日曜日
この1週間で十勝まで2往復、約1,000km走行したが、かつてほどしんどいものではない。
なにしろ雪が少ない。
日勝峠を避け、十勝道を利用するも快適だ。
大型トレーラーの後吹雪を浴びながらノロノロと何時間もストレスをためることもない。
おかげで、無茶な追い越しをかけるファイタードライバーも少なくなったように思う。
それにしても温暖だ。

せいぜいマイナス2度だもの。
(鼻毛が凍るほどの十勝の冬はどこだ?)
今回は祖母の13回忌だった。
音更で永いこと商店を経営している親戚と話をしていたら、国会議員のことが話題になった。
旧友の弟で、7つ年下の
知宏は当時園児だったか、遊びに行けば必ず俺につっかかってきたモンだ。
(宣戦布告なく、いきなり跳び蹴りをかまされたこともある。応戦したらビンタかまして逃げやがった)
親戚は永いこと与党側の応援者だったが、知宏の人柄に打たれ、すっかり惚れ込んでいるのだそう。
「小・中学校の義務教育期間中に、二週間程度の農業実習を導入することを提案します。」 石川知宏webサイトより
(大賛成だね。面白い)
人とのふれあい、ものごとへの感謝…基本は食への感謝「命いただきます」だ。
(十勝から中央へ跳び蹴りを!)
2009-01-02
2009年
1月
02
金曜日
ガキの頃の年賀状…
あまり覚えちゃいないが、一枚一枚手描きだったような。
中高生くらいでは、プラ板を切り抜いて文字盤を自作したような記憶もある。
(YMOに影響されちゃ)
勤め人になってから間もなくは、印刷屋に任せて、それでもちょこっと干支のキャラクターに眉毛などを足してみたような。
(12年集めたいといったケンタは元気?)
プリントゴッコには何年かお世話になり、年末は部屋中が葉書だらけだったよな。
まさに20世紀末ころ、ようやく自宅でもパソコンを使ってプリントアウトできる環境が整った。
3色インクだったけれども、次々と繰り出される年賀ハガキはなまら新鮮だった。
でも、振動音がアパート階下の住民の顰蹙を買い、床(天井?)をコツコツと叩かれたりもしたような。
(深夜にごめんでした)
インターネットの普及率もまだまだ低く、アナログ電話回線だったので、「ツーツーツージョクジョク…ぷ」みたいな接続音すら新鮮だったねぇ…。
OSもハードも脆弱で、一体何十枚のハガキをミスプリしたことか。
それが今や「0」だ。
今日はYMD電器にての初売り、4GBのUSBストレージが780円ときた。
(2個買いました)
ちょっと前なら大枚叩いても買えないもんが数百円。
(大GBのHDも小遣いで)
それだけに、老若方々が心を込めて一筆くれた年賀状は価値があるねぇ…。
(遅れますが、ほんの一筆添えて返します)